日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

独学・・・

 今から22年前、1998年1月27日(火)の午後、私の開業医時代に、ロシアの人が、「たはら小児科医院」の院長室に来ました。
 前もって電話で、「ロシアの人みたいだが・・・」と言うことで、私が少しロシア語が分かると言うことで、電話してきた日本人と一緒に来ました。
 私がロシア語で、「ロシア語を話しますか?」と尋ねると、「ダー」と言う返事をもらい、どうぞ「пожалуйста」と(覚え立ての)ロシア語で言って、院長室に招き、私の名前を言い、相手の名前を尋ね(→名前、何と言ってもらえたのか、聞き取れず)、又、自分の歳を言うと、向こうから「44歳」と言ってもらえました。
 「アッツクダ(どこから)」と尋ねると、「ウラジオストク」と言い、「ザーフツラ・ウーツラ(明日の朝)」と数回言い(←初め聞き取れず)、佐伯を出て富山に行くと言っているみたいでした(船乗りさん?)。
 母の手作りお菓子を食べてもらい、私の点てたお茶を飲んでもらい、録画で私の盆踊り太鼓を見てもらいました。
 で、患者さんも多くなり、忙しくなって・・・どう、言えばいいのかと思案した結果、「今、仕事をしている、さようなら」と言えばいいと思い付き、この今が(ドイツ語やフランス語は、直ぐに出て来るのに)出てこなくて、本を見て、「セイチャス」だったと思い出し、「ヤー(私は)ラボータユ(仕事しています)セイチャス(今)ダスヴィダーニヤ(さようなら)」と言うと、(バッチリ通じたみたいで→)直ぐに、帰る体制になり、ホッとして、扇子をあげて、別れました。
 「ハラショウ、スパスィーバ」が、最後、何度もよく聞き取れました。そのロシア人、日本語全く話せなく、英語も話せなく、最後に、「さようなら」とだけ、日本語で言いました。
 突然のこのロシア人との会話で、初め、パニックに近い状態でしたが、しかし、これで、「自分は、独学でも語学は出来る!」と強く思う様になり、自信を持ちました。
 その年の2月20日の午後、今度は、4人も、ロシア人が来ました。経験とは強いもので、この時には、前回の様に、慌てることなく、ゆとりを持って、お茶を差し出し、私のお茶会でのお点前や盆踊りでの太鼓演奏をビデオで見せたりして、いい感じで、時間が過ぎて行きました。
 その中の1人が、英語を少し話せて、その奥さんが小児科医とのことでした。
 「語学」と「芸」は、身を助けると言うことを実感しました。

*写真は、その時に来たロシア人(バックの掛け軸の文字は、私が書いたもの)。
*ロシア語は、次兄が、独学で勉強していて、その影響で、私も、大学生の教養部の時、私なりに、ロシア語の勉強、少ししていました。