日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

同門会・・・

 平成30年9月15日(土)の19:00〜21:00過ぎまで、平成30年度の宮崎医科大学医学部小児科同門会が、宮崎観光ホテルで開催されました。参加者、40名余ほどいたでしょうか。
 その前日、大学から電話があり、「乾杯のご発声を」と依頼され、受けました(アルコールを摂らない私なんですが)。で、その時、篠笛演奏を打診すると、OKでした。
 行くと、席が、上座が、教授と前教授になっていて、私の斜め真向かいに教授、そして、前教授の隣が、私でした。宴会前の写真撮影では、教授の隣が、私でした。もう、私も、そんな歳なんだなあと思いました。
 宮崎医科大学の診療が始まったのが、昭和52年10月でした。その時、教授、助教授、講師、助手、全部で7名しかいなくて、その数で、当直・外来・教育など、頑張っていました。その中で、私が一番の若輩で、とても忙しく働いていました。その7人の内、2人が残念なことに他界され、残りの5人の内、今回は、私のみの出席でした。
 会長(教授)の挨拶の後、私の乾杯の発声となりました。
 今まで私が行った国の言葉で、「乾杯」の言葉を言いました。韓国語→中国語→インドネシア語タイ語→フランス語→イタリア語→トルコ語ポーランド語→アラビア語→英語
 で、最後に、「では、日本語で!」と言うと、ドット笑いが置きました。
 で、食事・歓談がかなり進んだところで、新しく入った先生達の紹介があり、その後、司会者から、「恒例の田原先生の篠笛演奏・・・」何て言われて、私の篠笛の演奏が始まりました。
 古賀政男の曲、「影を慕いて」「人生の並木道」「人生劇場」「悲しい酒」と、4曲、欲張って演奏しました。
 演奏前に、「古賀政男、ご存じない方、おられますか?」と尋ねると、大半の人が手を上げて、驚きました。気が付いたら、タイムスリップして、今の時代に来ているって感じでした。
 演奏は、残念ながら、時々、音が出なく、又、間違えて、それも数カ所、落ち込んでしまいました。10日から喉頭炎で、12日がそのピークで、この日も、まだ、少し嗄声が残っている状態でした。練習不足もあり、エアコンの関係もあるのか、それに、初めから気負い過ぎたのが裏目に出た感じで、上手く出来ませんでした。
 21時過ぎまで、アチコチで、笑い声一杯で、和やかで、楽しい同門会でした。ありがとうございました。来年は、手品をしようかなあ・・・?!

* 昭和51年(6月から県病院勤務)〜平成30年の今までの42年間で、大学で働いたのは、私の場合、正味2ヵ年半のみで、それから、直ぐに佐伯の西田病院に、小児科を創設し、新生児・未熟児センターを立ち上げ、そこでの(10ヵ年半の)最後の方で、2カ年間、宮医大から、常勤医を派遣して頂きました。