日本の心・さいき

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上杉謙信・・・


 10月16日(水)の夜に、NHKで、「上杉謙信」のことが取り上げられていました。戦(いくさ)の勝率が、何と、70戦2敗とのことで、戦いの95%以上が、負け知らずの戦でした。なしか?
 彼は、小さい時に、お寺(林泉寺)に預けられていて、そこで、孔子儒教を叩きこまれています。儒教では、「仁」「義」「礼」「智」「信」の5つを大切にしますが、その中でも、「義」を最も大切にすることを学んでいます。
 つまり、正義の為に、私利私欲に走ることなく、平和を求め、民衆の為に生きることを常として・・・。(←素晴らしいですね!)
 父が13歳の時に病死し、兄も病弱で、14歳の時に既に初陣しています。当初、下臣の間では、臆病者との批判がありましたが、成果を上げる内に、謙信を尊敬する様になって行きます。

 どうして負けない戦が出来たのか・・・いろいろと今日まではっきりとした結論が出ていないのですが・・・→

1、8.000人の兵力で・・・
 謙信の率いる軍勢は、数が、わずか8.000人でした。他の強い軍勢では、1万〜5万となっているのに、何故でしょうか・・・?!
 人数が多いと皆を統制するのが難しくなり、機動力が瞬時に発揮出来ない状態となるのでは・・・一方、数が少な過ぎると、攻撃力が足りなくなってしまいます・・・8.000人だと、機動力と攻撃力が最もよく発揮でるとのことらしいのですが・・・?!
 そうですね、会社も、どんどん規模が大きくなれば栄えると言う訳でなく、ちょうどいい規模があると思うのですが・・・それは、地方自治体にしても、国の大きさにしても、同じことが言えるかも知れません・・・「道州制」、いいのでは・・・?!

2、謙信自ら、先頭に立っています・・・
 大将は、後ろに控えて指示を出すって感じの戦いが多いのですが、謙信の場合、それでは相手の状況が正確に掴めないとのことで、謙信自ら先頭に立って相手の陣地へ乗り込んでいました。
 そうですね、何事も、トップが直ぐに現場に行って見ることが大切ですね・・・?!

3、車懸かりの陣など、独自の戦方を採用して・・・
 「車懸かりの陣」なる独特の戦法を取っていた様で・・・多くのことで、今までの既成概念にとらわれることなく、変幻自在の方法で、相手を錯乱していた様ですが・・・?!

4、戦いの時期を焦ることなく待つ謙信、最後まで相手を追い詰めない謙信、敵の武田信玄に塩を送り、義を無視した織田信長に反旗を翻した謙信・・・敵方からも、最後に頼りになるのは謙信だと言われていた程の人間の器の大きな人でした。

 謙信は、義の為に、恋愛も捨てて、一生独身で、49歳で突如亡くなっています。も少し長生きしていたら、謙信の時代になっていたかも知れませんね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E8%AC%99%E4%BF%A1(←上杉謙信
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070209/1(←武田信玄