日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

先生の教えを守ります・・・


 昨年の夏、佐伯に帰った時、自宅で療養していた茶道の先生の家に見舞いに行きました。先生の前で篠笛を吹き、ハーモニカも吹き、先生も歌ってくれました。
 今年の1月、佐伯に帰った時に、先生が入院している病院に見舞いに行きました。驚きました。元気なく「眠たい・・・」と言われ、うつろうつろの状態でした。それから、天草に帰っても、ずっと覚悟はしていました・・・。
 たまたま、この2月23日から休みをもらって天草を後にして、その日の(2月23日)の18時過ぎに自宅に着いた直後に、突然○○社中から電話がありました。向こうが何も言わない内に、こちらから「○○先生のことでしょ?」と言うと、「そうです。悲しいお知らせです。今日の夕方、○○先生が・・・」と言われました。
 翌日(2月24日)にお通夜があり、先生の優しい最後の顔を拝見しました。左横に、お人形さんが添えられていました。
 今日(2月26日)葬儀がありました。会場は超満員で、前から隙間なく座っているのに、後ろで立っている人が70名ほどいました。
 修行寺の臨済宗の養賢寺から、一番偉い和尚さん(○○先生も私も、この人と一緒になって会食したことがありますが・・・)が、弟子を5名連れて来ました。「名誉師範」を持つ先生の葬儀に、裏千家前家元の千宗室・千玄室の供花(献花)が左右の一番前に並べられていました(○○先生は、若い時、京都の家元で修行)。右側に供花(献花)が17、左側に供花(献花)が11、総計18も飾られていました。元佐伯市長や衛藤征士郎代議士などの著名人も沢山参列していました。
 茶道の大分県の前幹事長(と○○先生と自分を含めて、14名の茶道メンバーで、韓国の浦項市に親善茶会で行ったこともありましたが・・・)と○○社中の代表者が、お別れの挨拶をしました。心がとてもこもった内容でした。最後の方で、喪主(先生の息子)が、いい父親といい母親を持って幸せでしたと言われ、皆にお礼を言われました。すすり泣く人が沢山いました(・・・←私も、その内の一人でした・・・)。
 終わって、スライドが流れ、生前の○○先生の今までの姿が紹介されました。解説と同時に、○○社中のY君が、篠笛で、「叱られて」「浜千鳥」「荒城の月」「さくらさくら」の4曲を心を込めて上手に演奏しました。
 実は、生前から、○○先生は、周りの人に「私の葬儀の時には、Kちゃんに(←Y君の愛称)、笛を吹いてとお願いしているから・・・」と言われていました。「佐伯篠笛の会」のメンバー数人で(○○先生やY君や私もその時参加)、大分の「能楽堂」で、「浜千鳥」を演奏したこともありました。
 ○○先生は、長きに渡って佐伯市の学校茶道教育に携わってきました。
 佐伯市で私が「子ども茶会」を立ち上げて、それが何度も出来たのも、○○先生あってのことでした。又、「たはら小児科医院」での開院時と閉院時に、院内で茶会が出来たのも、佐伯市の茶室「汲心亭(きゅうしんてい)・・・←○○先生がいなければ、この茶室も出来なかった事でした」で、「たはら小児科医院」主催の「お茶会」が出来たのも、○○先生あってのことでした。ありがとうございました。
 先生の教えは、沢山の弟子が今からもしっかりと受け継いで行けるはずです。先生は、「茶道は、私にとっては、宗教みたいなものです。これがあったからこそ、これまで、難なく生きられたと思います・・・」と言われていました。
 90歳まで、実にいろんなことに積極的に挑戦し続け、大往生された先生の生き方を見習うことこそ、あの世で、先生が一番喜ばれることだと思っています。(合掌)