日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

武士道・・・

 世界には、「キリスト教」や「イスラーム」や「仏教」などを国教としている国がある。しかし、共産圏や中国や韓国や日本では、国教って、ないなあ・・・!アメリカやカナダやヨーロッパでは、キリスト教が国教となっていなくても、日曜になると、教会に行っている人、多いなあ。
 中国や韓国では、(宗教ではないが、)儒教が前面に出ている感じだ。だから、家族を大切にし、親をとても敬うので、家族の結束力は、極めて堅い。
 海外に行ってみると・・・キリスト教を信じている所では、(大都市では)大聖堂を中心にして、放射線状に道路が出ている(それで、しばしば、道に迷ってしまったが・・・)。イスラームを信じている所では、モスクが中心になっていて、その周辺では、人がたくさん集まっていた。仏教を信じている所では、大きな寺院の場合、そこで買い物が出来るだけでなく、大学まであった。
 日本の場合は、どうなのかなあ・・・?!
 海外の人に言わせると、「日本の学校に宗教教育がない何て、どうやって道徳教育を教えるの?」って感じに思っているらしい。
 日本の道徳教育・・・→それは、「武士道!」って言う人がいるけど・・・?!「大和魂」って言葉もそれに似た感じで使われているかなあ。
 そうだなあ、ヨーロッパの人は、棘の生えたバラの花を好むけど、日本人は、風に吹かれてサッと無残に花弁(はなびら)が散ってしまう桜の花を好むなあ・・・。
 それに、日本人は、昔から「祭」がとても好きな国民だ。皆で一緒になって騒ぐのが好きな国民かな。(ちょっと間違うと、一億玉砕ってことにもなり兼ねないけどね・・・?!)
 日本の場合、和を以(もっ)て貴(とうと)しとなすって感じで、「和の精神」と言うことがしばしば言われる。相手の気持ちを考えて、行動するべきだと小さい時からよく言われる。兎に角、人に迷惑をかけない様にと言われる。で、人の嫌がることをしたり、口に出して言うのは、好ましくないとの常識がある。
 先祖は、争いを嫌がって逃げて来た人たちの集まりが日本人ってことかなあ・・・→日本人のDNAに平和を愛する気持ちが強いのでは。日本文化、それは、即ち恥の文化と言う人もいるけど。「騎士道」に対して、日本では、「武士道」って言葉、よく耳にする。
 で、その「武士道」を調べてみると・・・

 「武士道」には、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」などがあって・・・→NHKの大河ドラマは、それがテーマって感じになっているかな?!

 「義」・・・→義とは、正義の義である。
 エピソードとして歴史上有名な話は、上杉謙信武田信玄との「塩留め」の時の話・・・→信玄側が塩が無くて苦しんでいた時に、信玄側が塩を送った話である。・・・←例え敵でも、困っている相手には手を差し伸べるのが武士。
 才能や学問があったとしても、「義の精神」がなければ、武士ではない。当時、寺子屋で、武士が子どもたちにボランティアで読み書きを教えていた。つまり、武士にとっては、お金など二の次で、打算や損得から離れ、自分が正しいと信じる道を貫くことが武士の正しい姿とされていた。
 武士は、兎に角、銭勘定を嫌った。銭勘定は、損得を追及する行為だと武士は思っていたからだ。そんな武士、実際は、貧乏生活で実に質素な生活だった・・・←正に、武士は食わねど高楊枝!http://www.geocities.jp/kurogo965/kotowaza10/page29.html

 「勇」・・・→(正)義を貫くための勇気、正義を敢然と貫く実行力のこと。勇を全うするには、肉体的な強さが不可欠。その為には、精神修業と同時に肉体を鍛えた、つまり、「文武両道」を怠らなかった。

 「仁」・・・→人間としての思いやりであり、他者への憐れみの心のことで、女性的なやさしさ。伊達正宗は、「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる(義に偏り過ぎると厳しくなり、仁に偏り過ぎると、甘過ぎ理うこととなる。義と仁のバランスが大切!)」と言った。「武士の情けhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1415198504」なる言葉がある。
 
 「礼」・・・→他者に対するやさしさを型として表したもの。お辞儀の仕方、歩き方、座り方、食事の作法、など(茶の湯は最適)。

 「誠」・・・→文字通り、行ったことを成すこと。嘘をついたりごまかす行為は、臆病な行為とみなされていた。銭勘定を嫌って誠の精神に基づいて、武士は商人と違って証文さえも作らなかった・・・一度でも放った言葉が証拠、つまり、武士に二言(にごん)はなし!だった。

 「名誉」・・→武士は、富よりも名誉の道にこだわった。名誉とは、自分に恥じない高潔な生き方を貫くこと。裏を返せば、「恥」を知ることだった。
 武士の妻も、立派だった。金よりも名誉を重んじる夫の為に、傘や提灯作りの内職で家計を支え、武士の主君に対する忠誠心と同じくらいの思いで、家を守り、身を清く保った。正にこれ、「内助の功」。
 武士の間では、羞恥心を教えることを幼少の教育においてまず初めに行われた。(・・・←金や肩書に目がくらんで、人に笑われる様にことをするなって感じ?!)

 「忠義」・・・→これは、武士唯一の特殊な徳目だった。忠義の意味そのものは、主君に対する絶対的な従順のことであったが・・・→主君の命令は絶対的だったが、武士は主君の奴隷ではなかった。
 主君の間違た考えに対して、本物の武士たちは、命を掛けて己の気持ちを訴えた。武士たちはあくまでも己の正義に値するものに対して、忠義を誓った!

 思うに、日本では、「道」の付くものが多い。神道(に始まり?)、茶道、書道、剣道、柔道、合気道、空手道、弓道、華道、香道、・・・相撲道や太鼓道や和食道って言葉もあるけど・・・全て、礼に始まり礼に終わり、他を思いやり、心のあり方を大切にしている。まあ、この慣れ親しんでいる「道」が国教の代わりになっているのかな・・・?!(そう言えば、私の茶道の先生が言われました・・・私には、茶道は、宗教みたいなもの。太鼓の先生も言われました・・・一打一打に魂を込めないと、聞いている人に響かない。篠笛の先生も言われました・・・笛の音色は心の音色。(今は亡き)書道の先生も言われました・・・書は心。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%95%99
*参考図書:まんがで読破 武士道 新渡戸稲造 イースト・プレス 2008年発行