日本の心・さいき

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イスラーム(2/5)


 「ムハンマド」って、どんな人だったのでしょうか?
 実は、ムハンマドは、孤児でした。(クルアーンが孤児への慈善を推奨するのは、彼の生い立ちと無縁ではないと思われますが・・・。)
 母親のお腹にいる時に、父親が亡くなっている。母も、彼が6歳の時に亡くなっている。孤児になったムハンマドは、80歳近い祖父に引き取られるが、ムハンマド8歳の時に、この祖父も亡くなって、亡き父の弟(伯父)の下で育てられることになる。
 伯父は、ムハンマドをとても可愛がったが、ムハンマドは、孤児と言うことで辛い目、悔しい目、悲しい目にあうことも多かった。それで、内向的な人間に育っていった。12歳までは、羊飼いを手伝ったりしていたが、伯父から商売の技術を教えられて、少しずつその才能を発揮させていった。
 青年期になると、ムハンマドは、商売で伯父の家計を助けるようになった。そのようの誠実な人柄は広く知られ、ムハンマドは、「アミーン(正直者)」と呼ばれていた。
 そんな中で、「ハディージャ」という富裕な未亡人が大きな仕事を依頼してきた。彼女は、二度の結婚歴を持ち、子どももいた。その彼女がムハンマドの技量と性格を見込んで、結婚を申し込んだのだ。ムハンマドは、それを受け入れて結婚した。ムハンマド25歳、ハディージャ40歳(?)であった。(ムハンマドが年上の女性と結婚した為、イスラームには、姉さん女房を嫌う習慣はない。むしろ、好ましいと論じる人もいる。再婚に付いても推奨される。)
 二人の間には、2男4女が生まれるが、男2人は若くして亡くなり、長女・次女・三女は、成人して結婚するが、3人とも、ムハンマドよりも先に亡くなっている。末娘だけ、ムハンマドよりも長生きしている。イスラームの世界では、ハディージャを最高の女性として、誉め称えている。何故なら、彼女は、最初のムスリムであり、ムハンマドの苦悩の人生を支えたので。彼女は、ムハンマドが50歳の時に亡くなっている。
 イスラームにおいては、ムハンマドの地位は、あくまでも預言者であり、単なる人間に過ぎない。
 ムハンマドは、最初の啓示を受けた時、妻のハディージャに相談している。ハディージャは、キリスト教徒のいとこ(ワラカ)の下へ連れて行く。詳細を聞いたワラカは、「それは神の啓示に他ならない。貴方は神に選ばれたのだ!」と説明をした。それを聞いてムハンマドは、次第に預言者としての自覚を抱くようになった。
 最初の啓示を受けてから数年後に、ムハンマドは街頭に出て大衆への伝道を開始するが、順風満帆とはいかず、信者は(推定人口1万人と推定されるマッカで)わずか200人にも満たなかった。
 その後、ひどい迫害を受け、622年9月24日、ヤスリブに移る。これが、ヒジュラ(聖遷)と言われ、ヤスリブは、預言者の町:マディーナ・アン・ナビ(略して、アル・マディーナ、日本では、冠詞を省いて、マデイーナ又は、メディナ)と呼ばれることになった。
 ムハンマドは、亡くなる時、9人の妻たちを集め(ハディージャが生きている時は、妻だけを寵愛した。)、(それまで、妻たちの家を1日ずつ順番に回るのを常としていたし、遠征に出かける時は、妻たちにクジを引かせ、当たった一人だけを連れて行くのを常としていた。)これからずっとアーイシャ(当時、18歳)の家に留まりたいと言い出し、彼の願いは受け入れられ、・・・→最後は、日中の最も暑い時間に、アーイシャの膝の上で息を引き取った。ムハンマド、享年63歳だった。
 イスラームでは、ムハンマドをただの人間として、崇拝の対象とすることを否定している。

イスラームは、啓示宗教である。セム的一神教の系譜に属する。セム諸語(モーセヘブライ語、イエスアラム語など)の人々の間の宗教・・・→ユダヤ教キリスト教イスラームである。その世界では、唯一神が実在する、宗教が啓示で始まる、啓示は天使によってもたらされる。