日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

大脳生理学的に適合した生き方(仲間になりたい:2/0)


 私の父が、「若い時の苦労は買ってでもせよ・・・」「努力した分しか、社会に貢献できない・・・」と生前に言っていた。今思えば、私にとって、父の教えは、最適な言い方だったと思う。
 今でもはっきりと思い出せる。昭和47年2月5日(土)の教養部での哲学の講義の時、「夜と霧」(アウシュビッツ収容所のことが書かれてある)の 内容に付いて触れ、「ぎぎぎりの限界に人間が置かれている時、唯一の支えになるものは、目的を持って未来を信ずること。あの中で牧師と医師が生き伸びることが出来たのは、自分が死ねば同僚が直ぐに死んでしまうと思ったから。つまり、牧師と医師は愛の為に生き伸びることが出来た。」と言った。
 宮沢賢治は、自分だけ幸せ何て、ない。ホントの幸せは、皆が幸せになって味わえるものって感じで言われていた。「奪え合えば足りず、分かち合えば余る」って感じで相田みつおさんも言われていた。
 佐伯市で開業していた時、近所の子ども中心に(自分の子どもを含んで全部で10人前後)、お茶を教えた。子どもは、大人が思っている以上に、天才だった。小学校高学年で、茶箱もお濃も、しっかり皆出来た。見ていると、他の人が出来ているのを見て、頑張っている感じだった。つまり、今思えば、子ども同士、同じ様に出来ることが、しっかりとした仲間になることなのだ。その時、世間で言われる様な勝ち負けの競争ではないと思った。
 又、大川市にいた時、道海島小学校の子(小学4年生〜6年生)に、「横笛と太鼓(盆踊り太鼓を含む)」を1年間、教育委員会から非常勤特別講師の委任状をもらって、ミッチリ教えた。やはり、ここでも、子どもは皆天才だった。仲間になりたい、皆に付いて行きたい、それが頑張れる源だった。そして、演奏で多くの人に喜んでもらいたい、それが更に頑張れる大きな原動力になっていた。
 仲間になりたい→他人の為に役に立ちたい・・・ボランティアを楽しんでいる人の顔は笑顔に満ちて柔和である。そして、それを楽しんでしているし、感謝もしている。これこそ、人間が本能的に持っているものをフル稼働している姿ではないだろうか。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080317/1