日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

宗 教・・・

個人的には、オカルト宗教などは別にして、イスラム教に関しては、宗教の中で一番宗教色が強いと思っている。
 しかし、多くのイスラム教徒と接してみると、その穏やかな生き方には、驚かされる。
 ユダヤ教にしても、キリスト教にしても、イスラム教にしても、その宗教が深く生活と関わっている。その点、仏教では、それほど強くない。
 イタリア語研修に行った青年が、そこの(イタリア語の)教師から、「貴方は、神の存在を認めますか?」と尋ねられ、「私は、無宗教です!神様など、信じない・・・」と言ったところ、後日、個人的に呼ばれ、「貴方は、ホントにどの神も、信じていないのか?」と尋ねられている。それを話してくれた青年、私に、「いやー、ホントにここの人たち、神を信じているみたい・・」と言ったが。
 飢えに苦しむだけでなく、戦争に明け暮れ、いつ死ぬか分からない状態が数百年も続けば、自然発生的にに、そこに何らかの宗教が生まれざるを得ないのではないだろうか?日本の場合には、自然災害が特に多いので、山の神や海の神が生まれたのでは?
 戦後に、日本でも沢山の新興宗教が生まれた背景には、ものに恵まれていても、それだけでは生きられないと言う、人間の姿がそこにあるのではないだろうか?
 今、日本人に「鬱の人」が多くなって問題になっているが、今の日本人にも、もっと何らかの宗教心があれば、救われるのかも知れないかな?
 イスラム教は過激で、他の宗教を認めないと思ってきている人は多いみたいだが、私は、そうは思わない。もちろん原理主義者は別だけど、多くの所で、イスラム教徒が他の宗教者と仲良くこの目で生活しているのを見てきているから。
 むしろ、無宗教者に対して、溝が深くできるのではと思っている。
 イスラム教徒の人が言っていた、「イスラム教徒の場合は、悪いことをしないのではなく、しようとしても、神がいつも見ているので、出来ない・・・」と。
 逆に言えば、いいことは、神がいつも見ているし、それを喜んでいると言うことになるかな・・・?!
 モスクでは、女性がベールをしてないとだけしばしば注意を受けていたが・・・。中では、フラッシュで写真を撮らない様にと書かれているのに、お構いなしで、撮っている人、多い。この線より入らないでと書かれていたが、私は、それを見落として、入って撮ってしまったが(申し訳ありませんでした)。
 しかし、ベールをしないこと以外は、強く注意を受けているシーンは、見なかった(イタリアやカナダでは、フラッシュの注意をしばしば受けているケースを何度も見たが)。
 イタリアのデゥオーモもモスクも、装飾など(共に素晴らしいが)、似ていると思う。鐘楼もミナーレも似ていると思う。元は、歴史を紐解けば、兄弟だったから。

現在、イスタンブール旅行中。
以下は、その内容。↓
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