日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

母の日・・・

 今日は、母の日。母は、一昨日、昨日は、デイケアに行っていたが、今日は、行かない日だったので、昼過ぎに、巻きずしとケーキを持って、家内と一緒に母の所に行った。
 昨日は、母の誕生日だった。89歳になった。正確な自分の歳が(軽い認知症の為に)言えなくなっていて、「大正○○年5月8日生まれで、ボケて計算できんから、計算して下さい・・・」と歳を聞かれたら言うことにしていると言う。
 「お母さん、今何の仕事をしてるか、知ってる?」と尋ねると、「さあ、何かなあ?先生?」と言う。
 自分が医者をしていると教えて、「何科と思う?」と尋ねると、「外科じゃないん?」と言う。
 (昔、母が、大分県病の外科のナースをしていた関係で、外科と思うのかな?)
 しばらくして同じ質問をすると、→「医者じゃなかったかな?」とちゃんと言える。(どうも、記憶したことが、思い出せなくなったり、思い出せたりしている様だ・・・)
 表情がとてもいい。今までと違う。お金の事は言わなくなったし、終始ニコニコしている。正座が一番楽で、それをいつもしている関係で、それが内臓を正常の位置に保つことで、元気におれると言う。医者の自分に向って、塩分を取り過ぎない様にと、何度も言う。
 顔にシミなどが殆どなく、喋ってばかり。「支離滅裂、前後不覚、クルクルパーになっている・・・」と何度も言う。同じ事を何度も尋ねて来る。海馬がおかしくなっているのだろう、・・・?!
 認知症になることで、不安や心配なことを忘れることが出来る。その結果、過剰なストレスから逃れることが出来る。つまり、これは、この先も生きる為の自己防衛本能に他ならないのではないだろか。もう、この歳になってまで、遠く離れた子どもの事まで心配させるのは、極めて酷と言うもんだ。神様が意図的にそうしているに違いない。
 母の好きな曲、「青葉の笛」「君が代」、それに、古賀政男が作曲した4曲を演奏した。母も演奏中、それを口ずさんで楽しそうだった。
 又来るからと言って、そこを出て、テクテク歩いて、行き付けの喫茶店に行って、しばらく話し込んだ。その後、自宅に帰ると、直ぐに、パシェフェと看護師の二人が、近況報告って感じで遊びに来た。プロの目から見たケーキ作りの話と、外科病棟での話、それなりに次元が全く違っていて、興味深く聞いた。3時間以上いたかな。
 少し遅い時間になったが、茶道の師匠の所に行った(まだ、幸いに、夕食前だった)。6月6日は、佐伯市での恒例の市民茶会とのことで、自分の出席の旨を伝えると、とても喜んでくれた。
 「いつまで、そこで働くの・・・?」
 「早く帰っておいで、皆、楽しみにして、待ってますよ・・・」と、又、言われてしまった。

(5月9日の午後、記載)