日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

桜散る、・・・

 4月1日なのに、まだ肌寒日が続いている。
 平成9年、私の父が亡くなったのは、佐伯市では珍しく大雪が降った(とても寒い)日の朝であった。
 平成22年3月10日(水)、沖縄を去る日の朝、「国際通り」をトランクを引っ張りながら歩いていた。肌寒かった。それもそのはず、この日は、九州では、季節外れの大雪で大変な日だったのだ。熊本県の天草でも、大雪だった。
 この日の朝、いつも顔を合わせて話をしていた職員(正確には、派遣社員)が他界されていた。
 医局には、平日は、必ず夕方になると、看護部長が来て、「要注意患者」の名前(数名)を張り出す。沖縄に行く前に、その職員の名前があった。気になっていた(大学で手術をしたのだが、難しかった)。
 退院後も(あまり休むことなく)仕事をしていて、「先生、夜、2時頃、熱が出て、汗をびっしりかくんですよ、・・・」と言われていた。
 沖縄から帰って来て、医局の「要注意患者」の中に、その職員の名前がなかった。ひょっとしてと思ったが怖くて聞けなかった。で、恐る恐る尋ねると、「10日の朝、雪と共に散ったんですよ、・・・」とあるドクターから言われた。(やはりそうだったのか、残念無念!!)
 いろんな思い出がある。来た当時、アパートの不具合を相談すると、直ぐに、良くしてもらっていた。自分より少し年下だったが、何か、父親的存在の人で、「先生、今日は、早くから起きてましたねえ、・・・」とよく言われてた。(いつも、病院の前のアパートの自分の部屋の電気を気にしている様だった。)
 病院の仕事以外に、販売の仕事もされていた。後2年頑張れば、経済的に少し楽になると言われていた。子どもさんのことで、よく、話をしていた。自分にとっては、職員の中では、常に気軽に一番話をしていた人だった。
 「朝、8時半になっても、先生の姿が見えないんで、ひょっとしたらと思って電話したんですが、・・・」と言って、何回か、朝に電話をもらったこともあった。(自分にとっては、こんな人は、この人だけだった。)
 もう、会わなくなってから、1か月程経ったのに、まだ、信じられない気持で一杯だ。病院にとっては、その部所では、一番大事な人だった。(夜を中心に)休むことなく、家族の為に自分を犠牲にして仕事ばかりしてきただけに、今は、天国で、やっとゆっくりと出来ているだろう。
 59歳で、他界されたNさん、生前のニコニコしたふっくらとした顔が今もはっきりと脳裏に焼き付いています。
 ご冥福を深く深くお祈り申し上げます。(涙涙涙)