日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

平 和

 今の日本の平和は、多くの人の犠牲の上で成り立っている。同じ日本人、外国の人、多くの人のお陰だ。
 平和をかちとる為に、先人たちは、死ぬ思いをしてきている。今も銃を持って生活しないといけない国と違って、いろいろ言われても、日本はやはり安全な国だ。
 皆保険もある。読み書きできない人はまずいない。ただで水が飲める。物乞いが目に付かない。道端にゴミがない(もちろん、全くない訳ではないが)。美しい日本。
 終戦後、他からの援助を受けながら、日本人が一生懸命に頑張ってきた結果が今の姿だ。それにあぐらをかいてしまって、借金国になってしまった日本。今、正に曲がり角だ。
 私の叔父(衛生兵)が書いた「饑餓の島」の一部を、以下に掲載します(再掲)。
 ・・・今は、極限との闘いで、死を考える前に食うことを考えるばかりだ。戦争をしたくても、銃も弾も食料も体力も気力も底をついている。目の前の作業している姿は、子どもの時にお寺で見た地獄の絵と同じだ。肋骨の数が良く分かるし、胃の部分は膨れ、足首は大きく、栄養失調の状態だ。付近の椰子林は切り尽くしてしまい、パパイヤの木の芯を食い、雑草や木に「うさぎ」なんて名前を付けて食う。・・・歳は若くても、体は老人だ。野糧収集に出たまま、体力尽きて帰って来ない人もいる。禅僧が栄養失調寸前まで、自分を律し、妻も娶らずに生涯が送れる気持ちが分かる様な気がする。・・・今は、食う為に生きるのであって、生きる為に食うのとは違う。極限の生活をした人のみが分かる言葉だ。・・・戦友や患者が亡くなって埋める時に出る言葉は、いつも、「君達は埋めてくれる人が居る間に死亡して幸せだ。自分が死んだら、誰が埋めてくれるのだろうか?」だ。・・・
 (この本を書き上げて、胃ガンで非常に苦しんでいた叔父は、安心し切った感じになって、他界して行った。) 

以下は、海外の戦地の子どもの声(インターネットより)
 「平和、平和。ぼくには祖国の平和を求める叫び声が聞える。戦争はたくさんの残虐行為を残した。ああ平和がやって来てほしい。ぼくは独りぼっちだ。お父さんもお母さんもいない。兄弟や姉妹とは道ではぐれてしまった。ぼくの1本の腕はない。ぼくはどこにいるのだろう。誰と一緒に生きているのだろう。ぼくの名前は平和だ。ああ平和がやって来てほしい」(Sorrie Kamara 10才、シエラ・レオネ)
 「両親が二人とも死んでしまい、ぼくは孤児になった。両親は1994年の大量虐殺で死んだ。ぼくはおばあちゃんと暮らしていたけれど、おばあちゃんは年を取っていてお金も食べ物もなかったから、ぼくは家を出て食べ物を探しに行かなければならなかった。ぼくは、ギコンゴロ(Gikongoro)の道で会ったぼくより年長の子供たちと一緒に、空き家で立ったまま眠ったりした。時々彼らはぼくを追い払ったりした。また彼らはぼくに居てほしくないから、時々ぼくをひっぱたいたりした。彼らはぼくを殺そうともしたし、大きな棒で強く殴ってきたりもした。ぼくは別の少年と友達になって、救済団体のドアをノックしてお腹が空いていることとと病気にかかっていることを話したら、彼らは中へ入れてくれたんだ」(Amouza 7才、ルhttp://www.youtube.com/watch?v=hBrfgaIOwzU&feature=fvwワンダ)