日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

医師・・・

1、大分県の南部で開業している(私のよく知る)先生は、何と、60歳の還暦で開業した(その開院式に私は参加した)。それも入院設備を持って(専門は、産婦人科医であるが、全科をしている)。今は、分娩は扱っていないが、90歳直前の今も、元気で仕事をされている。仕事が趣味、正に、そんな感じの先生。
2、外部からアルバイトに来ていたある産婦人科の先生が、「この病院の○○先生は男の鑑だ!」何て言われていた。○○先生、朝早くから仕事を始め、150人程の外来患者さんをこなすこともザラ。それに、午後の手術を多い時には5件も、又、その手術が実に速い。病理にも詳しかった(そこでは、弟さんが病理医で病理診断もしていたが)。趣味が多くてすごかった。ゴルフはシングルで、歌は、プロ顔負けの美声。話も上手で、大学で教えていたし、ルックスも素晴らしかった。帝王切開が必要な時は、直ぐに駆け付けてくれていた(私が生まれた新生児を扱っていたが)。仕事量も遊び量も、私の比ではなかった。小児科の子どもを任せられないナースと判断した場合、私は○○先生(院長)の所に行って、他のナースに代えてもらっていた(私も、当時、血気盛んで若かったこともあり)。○○先生、それに対しても何も文句も言わず、私の要望通りにしてくれていた。そんな感じでアチコチから集められたナースを自分の目が届くところで教育されていた。何もかもにあまりにもエネルギーを注いだ為、それに体が対応できなくなって、残念なことに、55歳で急に他界されてしまった。しかし、人の何倍も仕事をされ、人の何倍も遊びもし、亡くなられた葬儀では、多くの職員が大粒の涙を流していた。
3、薬剤師を10年間もしていて、その後、ドクターになられた人(女性、同じ職場にいた)、兄の農業の手伝いを長いことしていて、それまでどこの大学にも行っていなかったのに、40歳を過ぎて東大の医学部に入学して小児科医になっている人(彼から、エクセルを教わったが)、卒後、しばらくして外国(東南アジアの発展途上国)で医療活動をしている人(講演を聴いたことがあるが)、卒後いきなり厚生省に入った人(同級生)など、いろんな経歴の医師がいる。
 共産党の代表としてよく出る小池さんも医師、元厚生労働大臣の坂口さんも、へき地医療経験者の医師。今回の改正臓器移植法を提出した中山氏も元小児科医だ。今からの時代は、今まで以上にいろんな経歴を持ったドクターが誕生しそうだし、又、医療以外のいろんな方面で活躍するドクターも多くなりそうな気がしている。