日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

傾 き・・・

 ヒトの推移をある(連続したなめらかな)関数で表し、ある地点で微分した時の値、つまり、その曲線の傾きの値、それが(+)でなく(−)の傾きで大きいと、ヒトは落ち込む?!
 そんな時、時間を掛ければ、いろんな道が見えてきて、それなりに解決できることも多いと思うのだが、相談する相手がいなかったりすると、自分の世界から出れなくなって、自分で自分を追いつめてしまう。
 日本は、自殺者年間3万人で、今、一番多いのは、60歳前後の男性、つまり自分と同じ頃に産まれてきた男性だ。この時代の男性、小さい時から競争競争でもまれて責任感の強いヒトが多いかな?同級生で不幸にして既に他界した人の割合、確かに多い感じがするけど・・・?!
 人生の上下(浮き沈み)なんて、誰が決めるのかなあ?周りが、その人のことを、とても恵まれ幸せそうに思っていても、肝心の本人がそうでないと言えば、不幸と言うことになるのかな?しかし、その時に不幸だと思っていても、その過去が今になって思えば、幸せだったと思えれば、どうなのかなあ?過去の積み重ねが今の自分を作っていると考えると、過去も今も、全てつながってそうなっている訳で、浮き沈みがあると思うこと自体、意味がない気もするけどなあ・・・?
 先のこと何て、神様以外は、誰も言えないと思うし、今がホントに幸せかどうか何て問題も、本人がどう考えるかが鍵になるんじゃないのかなあ。
 正岡子規結核で闘病生活をした時に、・・・全く寝込んでしまうとせめて家の中だけでも動ければと思い、殆ど動けなくなると、床の上だけでも動ければと思う・・・って感じで書かれていた内容があったかな。つまり、どんどん病状が悪くなっている時に、過去の姿を常に憧れる内容になっていたかな・・・?!
 自分がどんな状況に今あるのかをその地点で客観的に見れる人は、個人レベルでも集団レベルでも少ないと思う。又、他人の価値なんて、いなくなってやっと分かることも多いはず。仲の悪かった親子でも、亡くなると、(第三者の立場で感情が入らなくて客観的に見える為か)いい所がばかりが思い出されることってあるかな。
 今がいつも最高と思える人、又、それに気が付こうとしている人は、幸せだと思う。しかし、本当の幸せは、それを自分以外の人と共有できることだと思うけどなあ・・・・・?!自分だけが、他人の犠牲で幸せなんて、あまり考えたくないなあ。
 海外から日本に戻っていつも思うこと、・・・水が飲め水が気兼ねなく使える贅沢、ゆっくりと湯船につかれる贅沢、物乞いがいない国、字の読めない人がまずいない国、自由にモノが言え、本人の努力次第で可能なことが多い国、皆保険制度と高度医療(平均寿命だけでなく、乳児死亡率も新生児死亡率も、世界一です・・・医療関係者の犠牲的精神も大きいと思われますが)、まあ、日本もいろいろあるけど、・・・戦後の日本の民主主義はアメリカからのものであり、・・・今から、真の日本らしき姿になるんじゃないのかなあ・・今は、正に、転換期でしょうか・・・?!