日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

晩 年

 多くの日本人、晩年の最後の10年間、幸せの絶頂の中で亡くなっている人、少ないかな。自分なりに、次の様な感じでポコッと行くと最高にいいかなあ。
 自分が教えた子どもの盆踊り太鼓の音色を聴きながら、安らかに、イスにもたれかけて、・・・家内が私を見ると、私が満足し切った顔で亡くなっているとか(そんなことを夢見ているのだが・・・?!)。
 今月中に満60歳を迎えるにあたって、それなりの準備を今からしておかなくてはいけないかなあと思っている(死を考えることは、如何に生きるかを考えることになるかな)。まかり間違っても、病院の中で、沢山の医療機器につながれて、口にも鼻にもお尻にもチューブを入れられて、長く苦しみながら亡くなりたくはないなあ。
 今は、(ちょっと無理をすると、時々血圧高くなるが、それに、左目が流行性角結膜炎の後遺症でよく見えないけど)致命的な疾患は幸いにない。無理をしなくなって、夜もよく眠れる様になり、体重のコントロールもうまくいって、長い間高かった中性脂肪やLDLの値も改善している。今から致命的な疾患を持ったとしても、自分なりに納得する感じで最後まで生きたいと思っている。
 多くの東南アジアの国では、最後は、大家族に囲まれ、幸せそうに亡くなって行く。日本の場合は、病院で寂しくなくなるケースが多いかな。経済的に恵まれていても、平和であっても、お年寄りにとっては、孤独は耐えらえないかな。
 アフリカでは、おじいさんが亡くなった時には、図書館が1つなくなったと言われる。このことは、おじいさんの存在感が死ぬまで如何に大きいかを物語っていると思う。
 年寄りが敬われない時代、子どもが大切にされてない時代、これって、今の日本にとって、不幸な大きな問題だと思う。
 8日には、佐伯市の教育長の所に訪問して、30分程、話した。9日には、グラッドストーン姉妹都市メンバーの会長さんから、受入れ状況のメイルをもらった。それによると、凄いスケジュールになっている感じだ。が、ニュージーランドでも、1か月に30回以上こなしてきているので、(自分にとってそれが好きなので)何とか出来ると思っている(息抜く方法も知っているが、体力的に、今しかできないことかな)。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080517/1