日本の心・さいき

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小児科医のドラマ・・・

 看護学校の生徒から、「先生、小児科医のドラマ見てますか?」と言われた。テレビで、「小児救急」と題してドラマがあっている様だが、そう言われて、私はちょっとだけ見て止めてしまった。
 自分と同じ小児科医で、自分と同じ感想を持っている人のサイトを見つけた。以下がその内容。無断でそのまま記載させてもらっているが。
 小児救急病院でのきつさは、実際にした人しか分からない。これが私の実感である。小児科医の犠牲的精神に頼るべきでない。これも私の実感である。
 多くの救急病院の小児科医は、萬年睡眠不足で、訴訟に怯え、採算を考え、休みなく働く。しかし、歳と共に体がいうことをきかなくなってくる。
 来年の5月で、(満60歳の)還暦だ。今まで自分なりによく頑張ってきたと思ってきている。今まで診た時間外患児数10万人、年末年始でも、1万人を越えている。それに、新生児・未熟児もしてきているのだ。しかし、今からは、頑張りたいけど、もう頑張れない。そして、自分と同じコトを後に続く小児科医にさせたくない。
 
■2008/10/17 (金) 青空クリニックで働くのはイヤだ(1)
 昨日始まったドラマ「小児救命」。以前にも書いたが、医療ドラマは基本的に見ない。腹の立つことが多いからだ。医療ドラマというと、ほぼ100%外科系の医者、それも神業の技術を持つスーパードクターが主人公である。しかし今回は小児科医が主人公というのと、どこぞの医者が「このドラマはとてもリアルで、私たちの希望です。」などと言っていたらしいので、昨日はとりあえず見てみた。で、本音の感想。
 予想通りツッコミどころ満載。私は青空クリニックでは働きたくない。ドラマは道を歩いていた主人公の小児科医が、火事で受傷した親子の受け入れ先がない救急車と遭遇する場面から始まる。受け入れ先がなく困っている救急車に同乗し、強引に自分の病院に搬送するのだ。自分の勤めている病院は、実はもう既に2回断っていた。もちろん面倒くさくて断ったわけではない。搬送依頼があった時、自分の上司は当直中で心臓マッサージをしていた。つまり死にかけている患者がいる状態で、
受け入れ不可能と返事をしたのである。至極真っ当な返答だ。目の前で死にかけている患者の処置に追われているのだ。しかし強引に連れてきてしまった親子を受け入れざるを得ない。そして、運ばれてきた親子の処置をする。そのようなてんやわんやの状態であるのに、何とかなってしまうのだ。心臓マッサージをしていた患者はどうなったのだろう?亡くなったのか!?現実なら、先にいた死にそうな患者に大わらわとなり、火傷の親子は病院に搬送されても数時間放置。一緒に運んできた医者が一人いても、看護師や他のスタッフの手が回らない状態ではやれることは限られ、最悪の場合は親子とも手遅れで死亡。とっとときちんと受け入れられる病院に運んだ方が正解だった、となるかもしれぬ。
結果オーライで強引に運び込むのは危険すぎる。

■2008/10/17 (金) 青空クリニックで働くのはイヤだ(2)
 主人公はその総合病院を辞めて開業する。24時間患者を受け入れる病院だ。この医師不足の中、小児科医が6人も集まっている。開業二日前のシフト説明の最中に怪我をした子がやってきてしまい、院長であるその主人公は強引にその場で開業してしまう。保険診療上はどうなんだ?ということをさておいても、最低限その子の応急処置をして、しかるべき所に送る程度で良かったはずだ。準備段階で、わざわざ他の病気の子まで引き受ける必要などない。実際に営業を始めてしまい、外来は患者で溢れてしまう。当日、話し合いのために来たはずのスタッフは、なんとそのまま徹夜でぶっ通しで働くのだ。
 ヒドイ経営者だ。シフトがあってないようなものなら、仕事はエンドレスだ。数ヶ月は何とかなっても、絶対に過労死する。徹夜であんなにはつらつとしている医者なんて見たことがない。大抵、顔は土気色となる。病院は医者だけで動くのでは決してない。看護師や受付などの事務も、全員それに付き合わされるのだ。夜泣きで悩んでいた、赤ちゃんを連れた母を病院に入れる。結果的にその子は腸重積だった。その母とのやり取りで、主人公の言う、「100人の中の1人の重病を見つけるのが仕事」という言葉は、まさしくその通りである。しかしながら、「病院はコンビニで良いのだ。」と言い切る。母の不安が少しでもあれば連れてきて良いし、今回の例で言うなら、夜泣きでもつれてきて良いのだ、と。前に書いたコンビニ受診をやめようとする親たちの運動とは雲泥の差である。たくさんの軽症の中から重病を見つけることと、どんなに軽症でも、いつ何時でも病院を受診して良い、ということとは根本的に違うと思う。このドラマは、理想はそれなりにわかるが、結局病院のスタッフに負担のしわ寄せがいっているのだ。

■2008/10/17 (金) 青空クリニックで働くのはイヤだ(3)
 現在の医療崩壊の原因の一つには、こういうことがある。それまで入院患者やすごく重病の時に備えて病院に泊まっている当直医が、善意で軽症の患者も診てきた。それが最近では患者側の権利意識が高まり、モンスターペイシェントと呼ばれる理不尽な患者が増え、夜間の受診数が激増した。その割に夜間当直できない子持ちの女医や、軽症ばかりでやりがいもない割に夜も眠れず、翌日も普通に仕事で36時間勤務という激務の救急をやりたがらない医者が増えた。医者の総数が増えても、結果的に夜間に働く医者は減ってしまったのである。不要が増え、供給が減ったのだ。そのためフルで働ける医者にそのしわ寄せがいき、ついにその限界を超えてしまった。過労死や過労のため欝病→自殺などが実際に起こった。その結果、夜間救急外来の停止、当直回数の多い地方病院からの医師の引き上げ、夜間の救急をやっている病院の負担が倍増、救急車のたらい回し、などになったのである。もう理想だけではどうにもならない世の中になってしまったのだ。何度でもいうが、医者は不眠不休で働けるロボットでもなければ、神でもない、普通の体を持った人間なのである。このドラマのような、医者が頑張ればどうにかなるぞ的な考えは、我々の仕事がようやく少し認識されてきた時代の流れに逆行しているのだ。安易な需要が多すぎて、もうこれ以上は頑張れない、と医者が自覚してきたからこそ、医療崩壊が促進したのである。

■2008/10/17 (金) 青空クリニックで働くのはイヤだ(4)
 もといた病院の患者が行方不明になったからといって、その場の仕事を放り出して当てもなく探し回ったりしない。深夜に行方不明になった患者がいて、病院中を探し回っていなかったら、これはもはや警察沙汰である。ましてや再生不良性貧血だ。血小板が低かったら、頭をぶつけても脳出血を起こす可能性もある。そのような重患であれば、病院の面子もなにも関係ないのだ。ましてやその病院を離れた、現在は担当医でも何でもない医者が、何をしようというのか?
 テレビの影響力は大きい。これで夜間に泣いた子がいたら、腸重積かと思って連れてくる親が増えるだろう。「1リットルの涙」の時には、
寝不足でふらついただけで脊髄小脳変性症だと思った人がいたし、「本当は怖い家庭の医学」で川崎病を取り上げたら、熱と発疹が出たら心筋梗塞になると思った親がいた。夜中に泣きやまない赤ちゃんなど、どれだけいるだろうか?それが全部病院に「夜間に」押し寄せるのを考えると気が遠くなる。断っておくが、日中普通に病院が営業している時間帯なら、どんなに軽症であっても来てもよいと思う。このドラマに出てくる病院は24時間救急を謳っているので、いつ何時どのような軽症者であっても来てもよい。そのような病院のニーズがあるから、理想論としてそういう病院を作ろうというのは分かる。使命感に燃えている医者なんぞ何千人も何百人もいる。でもそれが現実問題としてなかなか成り立たないのは、使命感だけではどうにもならない現実があるからなのだ。理想を求めるドラマの中ですら解決方法はなく、結局医療者が殺人的に働くことが美徳であるかのような描き方は不快だった。今後どのように展開していくのかは分からないが。
 まあ、散々書いてしまったけれど、何を書いたって結局はこの一言で全て片づけられてしまうのだ。「どうせこれはドラマだから」と。