日本の心・さいき

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広島原爆体験記(1/6)

  「おおう、今日もB29が1機空高く飛んでいるなあ。」と、私は隣の町田伍長に話し掛けた。
 「そうであります。4、5日前から毎日飛んでいるのに、爆弾1つも落とさないで、何の目的で飛来しているのかわからないですが、高射砲の弾丸でも怖いのでしょうか?」1万メートルの高度にて飛行中である。
 私は、陸軍兵器学校の専門の生徒の出身であり、三年生卒業前に大阪造幣所局に実習に行った時、高性能の自動一式高射砲が試作中であるのを知っていた。この新型高射砲は、軍事機密であった。当時広島には旧式の88式高射砲の陣地しかなく、高度5千メートルしか爆発信管調整が出来ないことを知っていた。だから、頭上高く飛来しているB29は、平気そのもので飛行中であったのだろう。私は船舶司令部整備教育隊より兵60名を引率し、比治山の兵器所に向かう軍事行動中にあった。
 その日、8月6日の朝8時頃であったろうか、雲一つない晴天に太陽は燦々と照り輝き、炎熱の電車通りを目的地に行軍中にあり、再び隣の伍長に「何処か涼しい近道はないか、暑くて堪らん。」
 実は、部下達も皆そうであった。とても細い路地道に軍行を進め、眼前に比治山公園を見た。思い出せば、数カ月前に田淵少尉と一緒に比治山公園の広場にて、初年兵の徒手教育訓練をしたなあと思った瞬間であった。
 突然にピカピカキラキラとあたかも電気のスパークの如き青白い光線が空を走って広がり、オレンジ色と化した。思わず熱いと驚いた間一髪、地球が破れんばかりのドカン、バリバリの強烈なる爆発音、耳は勿論、五体も張り裂けんばかり。とっさにあの大きなガスタンクに爆弾が命中したのかなと思った瞬間、今度は、ゴウーと物凄い音の轟く爆風の渦の中に巻き込まれ、一瞬、真っ暗な中で地上の全ての物が吹き飛ばされた。生き地獄の中の真っ只中にあり、私は地球上には立っていなかった。

 (この内容は、被爆者の方の御好意により頂きました。本人から浪人の時に大変お世話になり、又、何度も、当時のこと聞かされました。今は、残念なことに、故人となられていますが、故人の奥様とは、今も安否の連絡を取り合っています。被爆関係者の生の記録です。しばらく、続きます)