日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

どう子とも達に伝えるべきか・・・

 大分の採用試験での合格者の取り扱い、既に答案用紙が破棄されてはいるが、パソコンからのデータで、不正合格者は、不採用にするとかなんとか言っているが、破棄したことに対しての教育長の言葉がない?!逃げ腰だ。自主申告する人は、まずいないだろう。皆、自分がかわいいから。しかし、公僕の身、ある程度のタガが必要だ。土台、ペーパーだけで決まること自体が不自然。生徒の前で1年間過ごして、それなりに立派になった新米先生もいるはず。しかし、いい成績で入っても、教師と言う仕事に自分は向いてなかったと思った人もいるはず。一本道でなく、いろんな道が選択できる様にするべきだ。1回のペーパーだけで、全てが決まってしまう感じのそのシステムこそ、国の力で是非変えて欲しいと思う。
 取り敢えず、今は、子どもの心のケアーが大切だと思う。現場では、どの様に対処しているのだろうか?子ども達が尊敬していた先生が、採用の時に不正をしていた。これを知った子ども達の心の傷は、深刻だ。しかし、これを上手にケアー出来れば、それ以上の教育効果があると私は思っている。
 教師の言ったりしたりしていることが100%正しい訳ではない。親の言ったりしたりしていることが100%正しい訳ではない。人間は、過ちを犯す者。それを子ども達は如実に悟ったと思う。しかし、小学生に入ったばかりの子どもには、そんな難しいことを言う必要はないと思う。
 いい先生だったけど、お父さんもお母さんも大好きな先生だったけど、いろんな事情でそうなってしまったと、そんな感じで今はいいと思う(性教育が年齢に応じてその内容がなされるのと同じ原理で)。真実を言うべき時に嘘を言うことなくちゃんと言えばいいと思う。
 他人のことだと、悪いことは悪いと言えるのに、自分のことになると、別の次元になるのが人間だ。そして、こと自分の可愛い子どものこととなると、盲目になり、自分だけでなく、他人もしているからと言う変な理論が生まれてしまう。
 例えば、人間を学歴や学校で差別してはいけないと言う人がいるとする。しかし、大学出の自分の娘が結婚する場合、相手の男性が、家庭の事情で高校しか出ていなかったりすると、娘の親が敬遠する傾向になってしまうことが多い。
 親の価値観が急には変わらない。それから正すとなると、かなりの歳月を要することになる。
 私が小学校1年生の時に入学したのは、子ども2人の為に400万払った校長のいる正にその小学校だった。1年生の1学期に受け持たれた○○○子先生、それはもう、自分にとっては神様みたいな先生だった。父がその学校の校長をしていて、父の教育は、「父兄は学校の先生の悪口を子どもの前で決して言うべきではない。特に、小学校では」との方針であった様だ(私の推測だが)。私が新学期で誰に持たれるか、校長である父親と言えども、全く教えてもらえなかった。
 で、私が尊敬するその神様みたいな先生が教室に来なかった時があった。その時、クラスの一人が、先生の家を知っていると言うことで、クラスの半分くらいが走って家まで行ってしまった記憶がある(私は、先生は遅れても来ると思っていて、行かなかったが)。実は、先生は、深刻な個人的な問題があって来てなかった。それを84歳で亡くなった父親の口から最後まで教えてもらえなかった。しかし、母親から数年前にちょっとしたことで教えてもらった。驚いた。しかし、この歳になると、余り驚かなくなっている自分にも驚いた。
 1年生の二学期からは、○口○子先生と言う立派な(恐らく臨時採用の)先生になった。しかし、自分は初めの先生に憧れていた(自分の場合、幼稚園も行っていなかったこともあり)。
 父は、遠回しに、その憧れの先生のことを私に次の様に言ったことがあった、「授業は、誰が見ても、ピカ一の素晴らしい教え方をしていたが・・・(後、言ってもらえなかったが)」。