日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

動物の気持ちになって・・・

東京の上野動物園に初めてパンダが来日した時に見に行って、あまりにも大きなパンダを見て、驚いた思い出があります。
 パンダにとっては、自然が一番いいはずで、大きな体の割にはとても仕草が可愛くて、見るの方にとってはスゴクなごむのですが、本人は、可哀相ですね。あるブログに、以下の内容がありました。

 希少動物であるパンダは大切にされるべき存在です。何せなかなか子供ができないので数が減る一方です。なのにパンダに朝から晩まで休む暇も無くショーをさせ、一生懸命芸をしても、結果的にお客さんが満足しなければひどい拷問を加えるとんでもない国がありました。当然のことながら、その国のパンダは次々と衰弱し、疲れ果てて死んでいき、各地の動物園で、パンダが居なくなってパンダショーができなくなりました。でも、不思議なことに、その国では、少なくなったパンダを大切にしようとか、これ以上死なないように保護しよう、という声は全く上がらず、生き残ったパンダをもっと働かせ ようとか、パンダショーが好きなだけ見れる事を要求して署名しよう、とか頓珍漢なことばかりしているのです。そんなおかしな国での出来事です。
 とある小さな動物園で、毎日毎日必死にショーをこなしていたパンダがいました。ある日、ショーの間にお客さんがその動物園に飛び込んで来ました。受付のおじさんがパンダに耳打ちします。「お客さんが来てます。どうやら、今すぐに火の輪くぐりが見たくてならないそうですよ。」ただでさえ、疲労困憊のパンダはちょっと悩みました。「でも、火の輪くぐりならやったことがあるし、折角来てくれたんだからやってみましょう。」そう答えて、パンダショーの順番を待っているお客さんに事情を説明し、急遽できるだけの準備をして火の輪くぐりにチャレンジしました。飛び込みのお客さんは母子二人連れです。何とか無事に芸を披露できた、と一安心した時、事件はおきました。子供のお客さんは手を叩いて喜んでくれたのですが、お母さんが怒り出しました。「私が見たかったのはこんな火の輪くぐりではない。もっと大きくてごうごうを燃え盛る火の輪でないと駄目だ。」一生懸命芸をしたパンダは悲しくなりました。でも仕方がありません。その場では火の輪はそれだけしかなかったのです。でも、とにかくお客さんが怒ってる。急いで納得してもらうように手配しよう。パンダはこれ以上の芸は不可能であることを説明し、急いで他の動物園のパンダに連絡をとります。「予定外の火の輪くぐりをリクエストされて、急いで準備して精一杯やってみたけどお客さんが納得してくれません。迫力満点の火の輪くぐりをやってくれませんか?」あちこちに連絡しても「こっちだって予定のショーだけで必死だよ。急に言われたってそんなの無理」とにべもなく断られてしまいます。お客さんはますます怒り出します。待たされているお客さんからも怒声が飛んできます。あせってあせって電話する手が震えてきました。でも、なかなか受けてもらえません。ようやく、ちょっと離れた動物園が「やってみましょう。」と言ってくれました。お怒りのお客さんを丁寧に誘導し、どうにかひと段落したと思いましたが、結局はよその動物園 に行ってもお客さんは満足してくれませんでした。
 この不思議な国では突然高度な芸を要求されて、必死に応じたとしても、お客さんが不満足ならば結果責任を取らされるのです。パンダの首に縄が掛けられ、動物園から引きずりだされました。「どうしてお前は満足してもらえないような芸をしたのだ!!」容赦なくパンダにムチが振るわれます。パンダは泣きながら反論しました。「火の輪くぐりなら何とかなると思って必死にやったのです。十分な準備期間もなく、突然だったらあれ以上の対応は無理です。」「初めから豪華な火の輪くぐりを見せてくれるところにお客さんを誘導すれば、あんなに機嫌を損ねることもなかったろう。生意気なパンダめ、こうしてくれるわ。」今度は棒でフルボッコです。気を失いそうになるパンダに「いいか、お客さんが満足しなけりゃお前らは叩きのめされるんだよ。思い知れ。」と裁判官から罵声が浴びせられました。「それは結果論だよ、満足してくれるかどうかなんてやってみなきゃわからないよ。だから、特に緊急のパンダショーができなくなって問題化してるんじゃないの?無理を承知で とりあえずショーをやってみろ、と皆言うけど、一生懸命やっても拷問じゃあ、誰もやらなくなるのは当たり前じゃないの?」本当はパンダはこう言いたかったのです。でも、あまりにも打ちのめされて、声を出すことができませんでした。その日はクリスマス、パンダは叩きのめされた後に、冷たい水をぶっ掛けられて外に転がされました。待ち行く人々は楽しそうに食事をしたり、恋人同士で愛を語り合ったりしています。ああ、今日はクリスマスか・・・薄れ行く記憶の中でパンダは昔を思い出していました。そういえば無理やりショーをさせられることがなかった頃は幸せだったなあ。優しいお母さんにプレゼント買ってもらったっけ。でも、お母さんもムチで打たれた傷が悪化して去年死んじゃったよ。僕どうしてパンダに産まれたんだろ。昔はもっと仲間も多かったし、お客さんだって罵声を浴びせたり物を投げたりしなかった。ムチで打たれることも多くなかったのに・・・どんどん仲間は死んじゃうし、それでもお客さんは大勢やってくるし、芸は高度になるし、僕これ以上頑張れないや。ああ、もう立ち上がれない、僕、もう死ぬのかな。生まれ変わるなら、パンダじゃなくて、仲間が多くて高度な芸もしなくていい動物がいいなあ。この国じゃ、パンダが足りない足りないって騒ぐくせに、全然大切にしてもらえな いんだから・・・ああ、もう考えることもできない。もう駄目だ。みんなさようなら・・・・パンダの体温はどんどん下がり、ついに死んでしまいました。
 パンダが足りないと騒ぐくせに、虐げられて衰弱死したパンダに対しては同情すらありません。それどころか、「これぐらいで死んでしまうパンダはいらない。もっと打たれ強く て丈夫なのをもらってこい。」と住民は動物園の園長さんに要求するだけです。いつになったらこの国の人たちは分かるのでしょうか?少なくなったパンダをいじめてはならない、ということに・・・

*何か、今、救急医療で頑張っておられる医療従事者がパンダに思えてなりません。
*ある市では、財政難を理由に、ある動物園が市の命令で、人員も動物もリストラになりました。そこで再生する方法が新たに取られました。今までの生き物の数を半分にしたのです。生き物にとっては、敷地が倍になりました。それを利用して、動物を伸び伸びと動かせることが出来ました。
 見に来る人と生き物が身近に触れ合うことが出来る場所も新たに作りました。キリンさんは高いので、高い所からキリンに餌を上げてもらいました。広い敷地になった為に、多くの動物が嬉しそうに動き回っています。
 見に来る人の立場に立ち、又、動物の気持ちになって飼育するのは、難しいことなんですね。