日本の心・さいき

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生きる上で、何が一番大切か?!

 生きる上で何が一番大切にされるべきか?
 多くの日本人は、忙しい忙しいと言う。小学生までが、スケジュールを見て返事をする時代だ。そんな生き方が本当にいいのだろうか?
 そんな世界とは全く別の世界がある。それがイスラムの世界だ。
 その世界では、時間が3つに分けられる。
 まず、仕事の時間だ。これを大切にしているのが欧米だし、日本も同じ感じだ。そんな世界では、仕事の為に家族と一緒に食事が出来ない。朝は早くから、夜は、遅く仕事の為に帰るので、子どもの起きた顔を見ないで毎日が終わることもある。それって、イスラムの世界では正に異常。クレイジーなのだ。イスラムの世界では、仕事は、生活する為に仕方のないモノ、そんな感じに思っているのだ。
 次に、遊びの時間。これも、あまり大切にしていない。遊びは、子どもがするもの。日本では、遊ぶ為に仕事をする人もいるし、遊んでいるから仕事が出来ると言う人もいるが、イスラムの世界では、家族をおっぽり出して遊びに興じている大人は、正に、クレイジーなのだ。
 では、最後の時間の使い方は、何?一番価値観を置いているのは何?
 それは、日本語では、適当な訳がないのだが、アラビア語では、「ラーハ」と言い、休息、安息、幸せを感じる、憩いって感じのモノだ。
 具体的には、家族と共に過ごすこと、人を訪問すること、友人とおしゃべりをすること、神に祈りを捧げること、眠ること、旅をすること、勉強すること、知識を得ること、詞を歌いあげること、瞑想すること、ぼんやりすること、寝っ転がることなどである。
 エッと思うかも知れない。どこかの国では、20歳の男性が、家で何もしなくてゴロンとしていたら、周りが大いに心配するだろう。しかし、イスラムの世界では、それが高く評価されているのだ。ラーハとして、ちゃんとした市民権を持っているのだ。
 現実に、(そこに行った韓国の若者の話だと)ナイル河やチグリス・ユーフラテス河のみならず、ペルシャ湾のほとりなどを歩くと、何をするでもなく、ぼんやりたたずんでいる人の姿が実に多い。終始、瞑想する、もの思いにふけるだけで仕事をしない様な人も、イスラムの社会では、その散在がしっかりと肯定されているのである。
 
イスラムの言葉には、教は既に入っている。それで、イスラム教と言うべきでなく、イスラムで事足れり。又、メッカは、正確にはマッカと言い、イスラムは、もっと正確には、冠詞を付けて、アル・イスラーム(al-Islam)と言うべきである。マホメットは、ムハンマドのことで、イスラームと言う言葉の代わりに、回教(回徒の人達だけの宗教でなく、万人の宗教だから)やマホメット教(偶像崇拝を認めないので、マホメットが偉大でもこの名前を用いるべきでない)を用いない方がいい。
(参考図書:イスラームの世界、片倉ともこ著、岩波新書