日本の心・さいき

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実践体験(子どもは天才)





 平成12年、大川市教育委員会から特別非常勤講師に任命されて、1年間大川市立○海島小学校の小学4年生〜6年生に「篠笛と和太鼓(盆踊りを含む)」を教えた。
 そこで、私は多くのことを学んだ。又、そこの学校の先生方も多くのことを学び、そのことで研究発表までしている。つまり、太鼓で学校全体の雰囲気が明るくなり、はっきりと変わったのである。
 具体的には、一人一人が積極的になり、授業中によく発表する様になった。よく挨拶する様になり、礼儀正しくなり、又、チームワークを大切にしてお互いに思いやる気持ちが生まれた。
 そして、何よりも各児童が自信を持ち、アチコチで演奏したくて仕方ない状態にまでなった。

 平成12年4月から始めた。6月頃に生徒にアンケートを取ったみた。それによれば、「楽しくて続けたい」と「きついから、出来たら止めたい」の意見がほぼ半々であった。学校での総合学習では、生徒は好き嫌いに関係なく、全て受けざるを得ない。しかし、時間外の道海太鼓チームとしての練習は、自由参加であった。兎に角、夏の大川市民総盆踊り大会に間に合わせる為に頻回に練習を重ねた。
 そして、その市民総盆踊り大会の時、夏に一生懸命に練習してきた子ども達が、自分と一緒にカッコ良く打てたのである。大人から絶賛された。練習を余りして来なかった子どもの前で。
 それからである、太鼓がいやで余り乗り気に打って来なくて市民総盆踊り太鼓に参加できなかった子ども達が、目の色を変えて練習に励む様になったのは(校長先生の談話)。二学期からは太鼓演奏で誰一人、嫌がる子はいなくなった。

 市民総盆踊り大会だけでなく、老人施設への慰問や秋の体育際や大川市最大の祭りである「大川木工祭」や卒業式など、子ども達は大いに活躍し、大拍手をどこでも受けた。お年寄りが涙を流して喜んでくれたことで、子ども達も大いに燃えた。秋の体育際や木工祭りでは、子ども達と一緒になって、私も楽しく演奏した。
 今でも、まだ、私の創った「個性と調和」の太鼓の曲を道海島小学校の子ども達はそのまま演奏し、又、市民総盆踊り大会の時にも毎年、盆踊り太鼓を打っている。

 学校までの送り迎えを、そこの学校の先生方からよくして頂いたが、その時、担当の男の先生が、深刻そうな顔をして、次に様に言ったことがあった。
「田原先生、一つだけ心配なことがあるんですが」と言う。「何ですか?」と聞くと、「生徒から馬鹿にされてないかとヒヤヒヤしています。生徒の方が覚えがいいので・・・」と言われた。私は、「子どもが覚えがいいのは当たり前です。子どもは天才ですから」と私は言った。
 又、別の担当の女の先生から次の様に言われた、「私達が注意してもなかなか聞かない。しかし、田原先生が話す時、皆真剣に聞いている。どうしてですかネ」。私は言った、「小学校4年生になると、自分よりも出来る人を尊敬する傾向にあるんですヨ。それまでは一緒に遊んでいれば、それだけで充分だったんですが。小学校4年生になると生徒以上にはっきり出来ることをしばしば見せる事が必要と思います」と言った。

 私は、生徒の前で決して叱らなかった。「素晴らしい、覚えがいい」、そして訂正すべき時は、「それでもいいけどこうした方がもっといいかな」。何度しても出来ない時は、「簡単に出来そうで出来ないのが太鼓。練習すれば必ず出来る様になる」。そして、時々言った、「練習は本番、本番は練習」。「上手になる人と下手な人の違いは一つしかない、それは、出来る人は皆の見てない所で一生懸命に練習している。ここでの練習時間は、限られているからたいしたことない」と。