日本の心・さいき

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還暦前になってのある医者の雑感

 大学受験の時、国立大学の医学部ならどこでもいいと思っていた。高校の時のクラスの同級生(国立理系は1クラスしかなかったが)は、有名大学の阪大や九大の医学部を受けることに一生懸命だった。現に同級生の一人は、二期校の国立大学に合格したのに、一期校の入る為に留年して予備校通いをしていた(結局、二期校の大学の医学部を卒業したが)。 
 どうして医者になるのに、有名な大学に執拗なまでにこだわる必要があるのだろうか。それがよく分からなかった。医学部は学歴がものを言うし、閥が強いので、有名大学に行くのがいいと言う人が周りに多かった。入学しても、自分の希望する大学でないと言う人が多かった様に思う(二期校コンプレックス)。
 自分は、取り敢えずお金の要らない国立大学に入って、大学で真剣に頑張ろうと思っていたし、頑張ったつもりである。そんな考え方を受験前に堅く持っていた人は少なかった様である(入学当時は、医師国家試験も100%近い合格率だったし)。
 又、大学を卒業して大学に籍を置いても、論文を書くことに最も価値観を置いている人が多かった(殆どかな?)。そんな中で、自分は、兎に角、臨床の腕を磨きたかった。ある先輩は、「教科書に書いているよ、ちゃんと」と言われた。「自己流でしない方がいいよ」とも言われた。それで、先輩の仕方をまね、沢山の教科書を読んで、1年半の研修を終えた時には、自分なりに「小児科研修の手引き」なる本まで作っていた。
 しかし、教科書に総論は書いてある感じになっていても、実際に、どの様な時に入院させ、どの様な時に退院させ、どんな検査をし、患者さんには、実際にどの様に説明すればいいのか何て、きめ細かく具体的に書いている本は皆無であったし、今も、ないかな?!
 しかも、安易に多くの医師により長いこと使われてきた薬が、急に禁忌になったりもしてきた。
 又、小児の場合は、急変が多いので、先が読めないことを痛感した。朝元気に保育園や学校に行ったのに、午前中に急変して、その日の内に亡くなった例も診てきた。
 カルテにどんなに丁寧に書かれていても、代診で見る時の難しさを感じた。特に、特殊な経過や病名の疾患では。
 咳止め、鼻水止めで、却っておかしくなったり、抗生物質の副作用が思った以上に意外に多いことも経験した。
 臨床上での診断は、確率的なもの。診断を付ける上で、機嫌や顔付きや食欲や睡眠のチェックが如何に大切か、いつも見ている母親の一言が如何に大きいかも悟った。
 そして、今は、小児科医たる者、自然にしかずの原点に戻り、連れてきた親御さんを安心させること、笑顔で接することの大切さを痛感している。