日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

ご冥福をお祈りいたします。

 宮崎医科大学附属病院が昭和52年10月からオープンし、その時に、小児科医局では、S先生が、医局長でした(スタッフは、教授1人、助教授1人、講師1人、助手4人のわずか7人で、初めの半年間、自分を含めて、当直は、講師・助手の5名でしていましたが・・・)。スタッフが少ない中で、一致団結して頑張っていましたが、私が一番若輩で、皆に迷惑ばかり掛けていました。
 S先生は、東京女子医大で研修していて、私は、初め何も分からない状態で、手取り足取り、小児循環器疾患、心臓カテーテル検査など、S先生から教わりました。
 この10年以上、宮崎に行くことがなくて、永く会っていなかったのですが、添え書きのある年賀状を、いつも頂いておりました。
 外来が多い日には、200人を越えると書かれていました。毎日がとても忙しそうでした。
 それが、急に深夜に異変となり、突然永眠されました。残念でなりません。まだ、信じられない気持で一杯です。
 自分より1歳年上のまだ64歳の若さ・・・S小児科の院長として、「かば先生」として(S医院のホームページも立ち上げていて、楽しいかば先生の日記もありますが・・・)子ども達から「かば先生」として慕われ・・・宮崎県小児科医会会長として精力的に活躍されていました。
 27日(土曜)の10時から、ご葬儀がありました・・・私は、S先生には、宮崎で大変お世話になっていたのに、27日も28日(日)も、上天草で外来診療をしています。葬儀に参列出来なくて、誠に申し訳ありませんでした。
 ここに謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします(合掌)。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20061104/S