日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

東日本大震災


 1995年(平成7年)1月17日、午前5時46分52秒、「阪神淡路大震災」があった。その時の揺れを、私自身、大分県佐伯市で感じていた。
 2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、「東日本大震災」があった。
 今日(11日)、今私が住んでいる龍ケ岳町高戸でも、その時刻のちょっと前に、黙祷をとの通知があり、サイレンがしばらく鳴り響いて、その間、黙祷をした。
 テレビでも、「東日本大震災一周年追悼式」があって、同じ時刻に黙祷していた。その後、内閣総理大臣が、復興を急ぐこと、伝承することの必要性、そして、助け合いと感謝に付いて述べた。その後、心臓の手術を受けられて間もない天皇陛下が、心温まる言葉を述べられた。
 当時、(東京に住んでいる)長男は、運よく帰る途中で、家の近くにいて、部屋に入ると水道の蛇口が出っぱなしになっていた。(と言うことは、帰ってなかったら、ずっと帰るまで水が出っぱなしになっていたはず・・・?!)
 「阪神淡路大震災」以前に造られた水道の蛇口は、レバーを上から下に下げると水が出るように造られていたが、「阪神淡路大震災」以後に造られた水道の蛇口は、レバーを下から上にあげると水が出るよう造り変えられている。(・・・←長男から今回教えてもらったけど・・・それまで気が付かなかった・・・)
 親がメイルで尋ねても直ぐに応答がない感じの長男なのに、「無事です!」とその時は間髪を入れない感じで、一言だけ直ぐにメイルが来て、驚くと同時に安心したけど。(その後、特に問題はなかったが、被災者の中には、無事と連絡して、その直後、そうでなくなくなった例もあり・・・)
 (川崎に住んでいる)次女は、この時、運よく休みの日で、アパートの自分の部屋にいたのだが、その後の余震で、不安な日々を長く過ごしていた。
 「阪神淡路大震災」では、神戸に住んでいる自分の親戚の家が被害に遭った。幸いに、壊れた1階に寝ていなくて、運よく命が救われたけど(やむなく、別の所に新しく家を建てて現在住んでいるけど・・・)。
 自分の故郷の「佐伯」は、「南海地震東南海地震」の大きいのがあれば、もろに被害を受ける地域になっている。龍ケ岳町で住んでいるアパート(4階建て)も、耐震基準が昔のままなので、強いのがくれば、アッと言う間もなく、崩れ去るだろう。
 まあ、そう考えると、人生観、変わらざるを得ないですね。
 今日は、(いつもの様に)鹿児島(次兄)・佐伯(長兄・母)・天草(私)と3カ所から同時にスカイプしました。時間外に来た小児を昨日も今日も診察しました(インフルエンザ、少し下火ですが、まだ、流行しています・・・)。
 今日も、充実した時間を過ごさせて頂きまして、多くの人に感謝申し上げます。