日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

歴史観・・・

 NHKの大河ドラマで、織田信長が、本能寺の変で亡くなってしまったが・・・。
 小さい時、父が私に、織田信長の家老の平手政秀(ひらてまさひで)の話をよくしていた。(私の名前が、同じ、まさひでと言うこともあってでしょうが・・・?!)
 平手政秀は、若い信長があまり無鉄砲なので、それを控える様に何度も言ったが聞き入れられず、最後は、そうしないなら私が切腹をしますとまで言って、切腹してしまった。信長は、そんな政秀の死を知って、深く悲しみ、そして、それまでの様に無鉄砲でなくなったとのこと。
 父は私に、決して平手政秀の様な人間になれとは言わなかったが・・。
 そんな織田信長のことで、ひょんなことから、次のエピソードを知った。
 日本に「黒人(モザンビーク出身)」が初めて来日したのは、織田信長の時代で、キリスト教宣教師が織田信長に差し出した時。織田信長は、ホントに黒いのかどうか疑って、タワシで皮膚をゴシゴシこすらせたとのこと。
 当時、黒人は、馬よりも安くで売られたいた。しかし、牛の様にとてもガッチリとしたその黒人を織田信長はとても気に入り、自分の家来として、ちゃんとした服を着せ、食事を与え、彼だけの部屋まで与えた。
 その黒人、初めて人間的に扱われたことにとてもとても感謝した。何せ、今と同じ、正職員として就職するのも非常に難しい戦国時代、しかも、日本中から注目されている織田信長の家来だからして。
 「本能寺の変」の時、主君の為に、最後まで(二条城で)とても勇敢に闘ったのが、この黒人だった。(この黒人、信長が弥助と名付け、その後、光秀に捕らえられたものの後に放免となっているが、その後の詳細は不明・・・)
 で、もっとスゴイ話がある。・・・→それが明智光秀の生き方だ。何と、・・・「1人背の高い黒い人間がいるが、それを殺す必要はない!彼は外国の人、関係ない人!」・・・何て感じで、明智光秀の家来に前もって言っていたのだ。
 歴史をどうとらえるか、同じ出来事でも、見方によって様々だと思う。それに、明らかな隠蔽工作があれば、真実とは、ほど遠いものになるだろう。
 昨年、実際に京都の「本能寺」に行った時、そこの館長さんが言われていた・・・「当時の事、実際の事は、誰にも解らないんですよ。残った秀吉が、都合のいい様に、書き残させていますから・・・」と。
 歴史観、人によって違うことが頷ける。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20101119/1