日本の心・さいき

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さっぽろ雪祭り(5)

2月6日(土)、札幌3日目。
 中島公園を挟んで、ホテルとちょうど反対側にある「渡辺淳一文学館」に行った。行く途中、積もった雪の上をサクサクっと音がしながら歩く感触、とても爽やかな感じ。犬が散歩している。カラスもいる。犬やカラスは、寒さに強いのかなあ?
 「(日本で正にトップクラスの建築家である)安藤忠雄」が造った「渡辺淳一文学館」、玄関が斜め線で、一本脚の鶴をイメージしていて、中もなかなか見ごたえがあった。
 親しくしていた高校の時の同級生(女性)の死、青年時に結核に罹患しての闘病生活、整形外科医としての医療活動、この3つが、彼の文学を不動のものにしたのではないだろうか。
 「仕事は本妻、文学は愛人」と言っていたのに、愛人が本妻になり、作家だけで生きることになっている。日本初の心臓移植手術の作品で、いろんな圧力を受け、医療界に嫌悪感を抱いたのではないだろうか?!医療を完全に捨てる時、母親の反対などで、それなりに苦しんでいた様だ。
 数多くの作品を次から次へと世に出してヒットさせている。2007年に「鈍感力」、2008年に「熟年革命」、2009年に「欲情の作法」、その3冊(3時間近くそこに居座って読んだが)、内容が過去のものとダブっている所が多くあった。と言うよりも、彼が言いたいことが常に一貫していると言うことではないだろうか。
 (国会議員の中で最も強いのではと噂されている)民主党幹事長の小沢一郎囲碁で試合をして、互角に闘っている。正式に囲碁5段をもらっている。更には、同じ年に、将棋6段も、日本将棋連盟から正式にもらっている。今の渡辺氏にとっては、作家は本妻で、囲碁・将棋は愛人って感じになっているのかな?
 彼は、何をしても自分なりに極めるタイプだと思う。どの世界に入っても、それなりの頭角を現す存在だったと思われる。
 彼の札幌医科大学での成績証明書があった。8つの基礎科目では、良が4つで、可が4つとなっていた。12の臨床科目では、整形外科と産婦人科と皮膚科と放射線医学が優となっていた。当時の耳鼻科の卒業試験問題では、4つの簡単な問いに対して、4枚の西洋紙が配られ、乳様突起炎の症状について書けとか、副鼻腔炎の診断について書けって感じで、論文式の問題になっていた。(自分の大学でも、卒業時、こんな問題形式が半分近くあったかな)