日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

ランタンフェスティバル(その1)

 1月31日(土)の朝7時前に、病院に行き、気になる細気管支炎の2人(1カ月と5カ月で、RSウイルスの検査で共に陽性)を診察して(不在中は、も1人の小児医に委ねて)、いつもの様に、7:35発の上天草総合病院前からバスに乗って本渡(ほんど)に行った(長崎市ランタンフェスティバルに行く為に)。いつもは少し遅れるのに、9:06到着予定が、バスセンターに早く着いた。でトイレに行った為に、数秒の遅れで、9:05発の富岡行きに乗れなかった。で、次の10:20発に乗った。どっちみち、富岡港からの出発は、11:30になっているので、早くそこに着いていても、1時間余では、富岡を中途半端でした見れないし、ブラブラしているだけだから、同じだと思い直した。
 で、10:20に乗った。バス亭でないのに、母親らしき人が大きく手を振ってバスを止め、途中で止めてしまった事を詫び、「○○まで二人をお願いします」と頭をペコペコ下げながら言っている。田舎のバスの運転手さん、(自分は前の方に座っていたので、そのやりとりがよく分かったが)嫌な顔一つせずに了解して、その子(小学校4年生ぐらい?)が降りる時、上の子が、「アリガトウゴザイマシタ」と深々と礼をしたら、運転手さん、「気を付けて行けよ!」と言った。何か、そのやりとりを見て、胸にジーンと来てしまった。一つ前のバスだと、これ、経験できなかったなあと思うと、何か、旅の醍醐味って、こんな所にあるのだなあと思った。
 数日前からの天気予報では、土曜は雨になっていたが、幸いに雨は降っていなく、又、数日前の寒波と違って、さほど寒くはなかった。しかし、バスから見る海岸の波は荒かった。で、案の定、11:35発のフェリー、大揺れに揺れた。
 私は、その前に五苓散を飲んでいて、乗ると直ぐに横になった。ヘッドホーンをして、半分眠った状態の70分間だったが、家内は、何度もトイレで吐いたそうな。又、着いた時、青年の1人が真っ青になって座り込んでいた。台風以外で、こんなに波が荒れること、年に1回あればいい方らしい。家内は、「もう、この船に乗らない!」何て言っていた(往復券を既に買っているので)。
 茂木港に着いて、バスで長崎市に行った。二人共、食欲全くないまま、長崎駅で500円の「電車一日乗車券」を買って、まず、「原爆資料館」に行った。
 館内で、ある団体に付いて行った。説明してくれる人がいて、よく分かった。30分ぐらい経過したのかなと思っていたら、何と、1時間既に経過していた。ここは、1時間では足りない。少なくとも、3時間は必要だと思った。
 原爆で亡くなった人の1割は、瞬間的に亡くなっている。熱と爆風と放射線で苦しんでいる。衝撃的な写真が沢山あった。戦争でいつも一番の被害に会うのは、武器を持って闘うことのない(罪のない)子ども達や女性だ。
 子どもが瞬間的に焼けて亡くなった写真が2枚あって、(ノーベル平和賞を受賞した)マザーテレサが、この2枚の写真をこの場で指さして、「核を有する国の政治家は、これを見るべきだ!」と言ったとのこと。又、衝撃的な写真の一つに、娘さんがボーッとして焼け野原に立っていて、その足下に、よく分からない感じのモノに人間の髪と思われるものが付いている。写真を撮る人が尋ねると、その娘さんは、「自分の母親だ」と言う。その理由を聞くと、「父が与えたコハクのクシが髪に付いているから」との返事だったとのこと。その写真を撮った人は、それを聞いて返す言葉がなかったとのこと。
 原爆は、新潟・広島・小倉・長崎のどれかに落とすことになっていたらしい。広島のは、ウラン235、長崎のは、プルトニウム239、死者は、広島の方が多かったが、規模は、長崎の方が大きかった。
 現在、地球にいる60億の人間を5回も殺すだけの核を人類は持っている。これは、正に、大国の奢りだ!

 No more Hiroshima and no more Nagasaki!

 No more Hiroshima and no more Nagasaki!