日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

原点に戻って・・・

 オリンピックが終わった。大きな課題を残したオリンピックだった。 個人が国の威信を背負って闘うって感じにも思えてならなかった。 「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」が、クーベルタンが提唱したオリンピックのあるべき姿(オリンピズム)であったはず。
 そこでは、国との凄まじい闘いがあってはいけないはず。ましてや、政治に使われては、何の為のオリンピックか分からなくなる。厳戒体制で聖火が運ばれたり、オリンピック期間中にも、グルジアで戦争があったりしている。中国国内でも、チベット自治区ウイグル自治区で暴動があっていた。そして、中国政府の約束に反した報道の規制。
 相手を失敗すると大拍手、それは、礼儀を欠いている。ヤジを飛ばすのも、礼儀を欠いている。いいプレーをしたら、自国の選手でなくても、拍手を送るべきだ。
 男子野球の決勝戦キューバと韓国戦、韓国に是が非でも勝って欲しかった。勝ってホントに嬉しかった。自分が韓国に今まで4回も行っているし、韓国の人に大変お世話になったからかなあ。彼らが喜ぶ姿が目に浮かんだ。
 日本の面積の3分の1しかないバングラデシュでは、人口は、日本よりも多い。しかし、メダルは0。そんなバングラデシュが欧米と闘っていたら、私は、バングラデシュを応援するだろう。
 男子マラソン優勝者のワンジル選手のインタビューの初めの言葉が、日本語で、「ありがとうございます」だった。そして、最終日の閉会式での表彰台の上に上がって、日本式に礼をした。何か、最後に、そこに、オリンピックのあるべき姿をやっとはっきりと見た思いだった。
 中国の多くの人は、国際的な試合で応援の仕方など、慣れていなかったのだと思う。これを契機に、少なからず学んでくれたと思う。
 
 かなり前の話だが、(義理の姉から聞いた話だが)・・・いやいやながら、家族の説得で、中学2年生の姪がアメリカに行った。英語が分からなく、「帰りたい!」「帰りたい!」としばらく言っていた。しかし、次第に慣れ、英語も上手になり、1年経つと、今度は逆に、「日本に帰りたくない、自分だけもう1年間だけでもここにいたい!」と言い出した。しかし、一緒に家族で日本に帰ってきたが。
 行ったカリフォルニア州ロスアンゼルスでは、日本と全く別の価値観だったと言う。「出来ることは?」としばしば尋ねられたそうだ。そんな時、「何も出来ない」と言って逃げていたが、ある時、「ちょっとだけピアノが」と言ったら、ピアノを弾くように言われた。彼女は、ピアノが超上手だが、日本では、自分が上手だとは言えない。彼女の演奏を聞いた友達は、その素晴らしさに驚き(アメリカ人は、演奏することを喜び、人と争って極め尽くそうとする人は、余りいないらしい?!)、クラスの羨望の的となった。又、数学の点数で100点を取ると、それを男子友達がひょっと取り上げて、恥ずかしがる姪を無視してクラスの皆に見せ回っていたとか。
 今回のオリンピックを見ても、そんな感じだ。女子ソフトのアメリカの監督も、潔く日本の素晴らしさを認め、北島が優勝した時にも、多くの競争相手が北島を讃えていた。
 何が何でも勝て、勝たなければいけないといった感じでマスコミが騒ぎ過ぎると思う。北島は、そのプレッシャーにも打ち勝った。しかし、彼はそのきつさを知っている。今までの苦しいスゴイプレッシャーを考えると、ロンドンでは、もう挑戦しないのではと思う。王者は、勝って元々なのだ。勝たなければ、犯罪者の様に扱われるのだ。北島が子ども達に水泳を教えている姿、あれが、彼には一番合っていると思ったのは、自分だけだろうか。