日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

日本の将来は・・・?!

 官僚の在り方が問われている。官僚の人達にとっては、大臣はしばしば代わるので、大臣が自分らのトップとは思っていないらしい。社長は、事務次官なのだ。次官が付いているから大したことはないと思ったら大間違いで、各省では、正にトップの存在なのだ(同じ次官の付いた政務次官とは大きな違いかな)。
 で、それになれるのは、ホンのホンのひと握りと言うことになる。で、それにもれた人は、天下りせざるを得ない構造になっているらしい。本心は、天下りしたくないのだが。しかし、自分の将来を考えるとそうせざるを得ないのだ。
 それもそうだろう、がんじがらめの自分の裁量が発揮できない狭い世界でずっと仕事をしてきて(それも、安月給で)、40代の終わりにでもなれば、自分の実力や将来性が自ずと見えてくるはず。国家公務員であるからして、首には出来ないはず。しかし、実力やコネがなければ、例え定年までいても、それこそ窓際族で、自分の部下や年下が上に立ち、寂しい思いをすることになるだろう(高学歴であればあるほど)。で、定年一杯まで官僚の立場でいても、その先、どこも就職するところがなければ、・・・。
 そんな中で、今の変化の激しい時代にマッチしたアイデアを出してのいい行政が出来る何て、思われない。まず、自分の先々の就職先を考えての仕事となる。そんな土壌から、学閥やコネ(や時に賄賂)が自然発生的に生まれる気もする。
 地方の長が霞ヶ関に出向いて、お金の配分を自分の地方にと陳情にしばしば行っている。パイは決まっている訳だから、その分、どこかが少なくなる。その努力を惜しまず出来る政治家が、有能な政治家だとしても、何か、割り切れない感じだ。
 官僚の体質は、そのまま地方にも行っているのでは。何故なら、地方のトップの知事の半分が、官僚出身だから。
 いっそ、無駄使いを思い切ってなくし、公平にするべきなのだが、それが出来ないのが今の官僚と政治家(とそれに住民)の姿かな。
 かって北海道に家族旅行した時に、大きな道路がずっと続いていたが、殆ど車とすれ違わず、途中に「熊に注意!」の看板を何度も見た。どこかの市の様に、市のお金を使って大きな建物を造ったのに、しばらくして又壊して、別な物を造っている。土建業者は、潤うだろうが。
 今の時代、もっと、根底から日本人も、考え直した方がいい感じだ。日本人は、もっと賢かったはずだ。日本人は、もっと倹約家だったはずだ。日本人は、もっと倫理観があったはずだ。日本人は、もっと他人への優しさがあったはずだ。ある人の言葉に、「奪え合えば足りず、与え合えば余る」との言葉がある。今や、世界で5人に1人しか3食摂ることが出来ないのに、食べ物自給率が39%で、その3分の1が無惨にも捨てている国になっている。
 日本も、このままで行けば、後100年したら、今の半分以下の4.800万の人口になるそうだ。開きの直って考え方を変えて・・・そうなってしまえば、国際化して、素晴らしい日本になっているかも知れないかな。私は既にもうこの世にはいないけど。

*日本では、有能なエリートが官僚を目指している感じだが、アメリカでは、官僚に行かずに、会社の社長を目指して事業を始める人が多いとか。又、アメリカの医療や大学の変革は、上からの力でなく、大衆の力で変えて来ているとのこと?!