日本の心・さいき

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免疫学の裏話

 北里柴三郎は、コッホの元で破傷風の抗毒素を発見したことで超有名な人。血清療法を記した論文が、コッホの元で研究していたベーリングと北里の名前で提出された。北里は、破傷風の血清療法を中心に、ベーリングは、ジフテリアの血清療法を中心に研究していた。で、不思議なことに、1.901年から始まった(第1回目の)ノーベル医学生理学医賞には、ベーリングだけがもらって、北里はもらえなかった。同時にもらってしかるべきと思われたのだが(なしか?!)
 抗毒素は、毒素に対しての抗体で、正に、免疫学の具体的な走り。それまでの免疫学で偉業を為してきた人が、ジェンナー(種痘の発見者)→コッホ(結核菌、コレラ菌を発見)・パスツール(ワクチンの名前を提唱)・メチニコフ(マクロファージの名前を提唱)→北里・ベーリングと連なる感じであったのだが。
 ところで、北里は、熊本県阿蘇郡大字小国(おぐに)町北里出身で、Kitazatoと書くべき所を、ドイツ語読みで、北里と呼んでもらう為に、Kitazatoでなく、Kitasatoとしたとのこと。知らない日本人は、何故、Kitazatoとしないのかと不思議に思うだろう。濁らない場合は、Kitassatoと書くだろう(フランス語だと、キタザトをKitasatauと書くのかな?)。
 ノーベル賞をもらった利根川進氏、彼は、元々は免疫学をしていた訳でなく、カリフォルニアでウイルス学をしていた。その後、スイスのバーゼルにあるバーゼル免疫学研究所で「遺伝子の再構成によって抗体の耐用性が生まれる」ことを証明した。この時の所長が、ネットワーク説でノーベル賞を取ったヤーネであった。
 利根川氏が赴任した直後に、「北里を知っているか?」とヤーネ氏は尋ねた。利根川氏は、「名前は知っているが、何をした人かは知らない」と応えた。利根川氏がノーベル賞を取った時に、ヤーネ氏は、祝電を打った。それには、「You accomplished what Kitasato started.」とあった。北里が発見した抗体の秘密を利根川が解いたと言う意味と、北里が受賞できなかったノーベル賞を受賞したと言う2つの意味を込めて。