日本の心・さいき

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身を持って知る教育のあるべき姿

 あるブログで、今年の東大理3の合格者にどの高校からが多いのか何てのが載っていた。
 人生の勝利者って感じで、高校別に有名大学や医学部などの入試での結果がまだ話題になっていること自体が、問題だと思うのだが(受験勉強に秀でていて、その時点での一発勝負で他人よりも成績が良くて合格したに過ぎないのだが)。マスコミが騒ぎ、世間もつられて騒ぐ感じになっている(なぜか、資格試験の合格率や就職状況やその後の活躍などは、余り話題にならないなあ)。東大理3の場合、灘と開成で全体の3分の1近くを占めている(理3では、ある年には、入学生の内に女子学生0のことがあったが)。(そこに入る為の受験勉強とそこでの男子のみの生活で)そうでなくても視野が狭くなっていると思われているのに、又、同じ感じの人間の集まりで、いろんなタイプの患者さんの苦しみをホントに理解できる医者になってもらえるのだろうかと心配にもなってくる。
 昔は高校や大学に行っていた人はホントのエリートだったと思う。戦前までは、末は博士か大臣かって感じで、高校(今の大学の教養部に当たる)に入学する時の数が、今の東大生よりも少なかった。
 世の中を自分たちの力で変えよう、世の中の為に精一杯尽くそうと、文武共に優れた学生(頭脳明晰なるも貧乏学生が多かったと思われる)が、全国アチコチから、高校(今の大学教養部)や大学に進学していた。
 しかし、今は違っていると思う。
 平成20年3月18日(火)の夜のNHKで、アメリカ出身のジェロさんが「海雪」なる演歌を上手に唄っているのを見て、これって、有名大学や医学部への進学と似ているなあと思ってしまった。彼は、今は亡きおばあちゃんを喜ばせる為に演歌を小さい時から始めている。目標は、NHKの紅白歌合戦で歌うことみたいだ(まあ、NHKの紅白歌合戦も、年毎に視聴率が落ちてはいますが)。
 NHKの紅白歌合戦に出ることが最高の目標だと仮にして、そうなったとしても、ずっと出れる人はほんの僅かである。又、実際にそこのNHKホールで聞いた人の話では、(生で聞くので)上手か下手か一目瞭然だとのこと。つまり、下手でも運良く出場出来ている人もいるのだ。
 福岡県の大川市にある大きな病院に勤めていた時に、夜(単身赴任だったので、暇な時にはよく)あるカラオケ・スナックに行くことが多かった。そこでは、プロの歌手もいたし、カラオケの先生も来ていた。
 思うに、カラオケの先生の中には、ブラウン管の有名歌手よりも上手な人、多かった。それも、メチャクチャ上手なのだ。(大川は、元々、古賀政男記念館があるほどで、カラオケの盛んな所だったが)そんな中からブラウン管で多くの人が見るまでの存在になるには、その人だけの力なんて微々たるモノ。コネや人とのつながりが大きい。それに、有線などを通じての投資なども。ブラウン管にしばしば出る様になり、NHKの紅白歌合戦に出れる様になった人は、もちろん、実力もあるし努力もしているが、それ以外のものの方が大きいと思っている。
 大川出身で、NHKにも最近よく出ている「○山たけし」なる歌手のお父さんはカラオケの先生で、一緒に同行したことがあった。プロ意識の強い人で、足をその日の直前に捻挫したのに踊ると言って、添え木をして(私の太鼓に合わせて)どじょうすくいを踊って大拍手をもらっていた時には、世の中には、こんなに芸に徹する人もいるのだと思って感動してしまった。
 有名大学や医学部に入る場合も、同じ感じで、6カ年一貫教育で、レベルの高いカリキュラムや尊敬できる優秀な教師がいて、いい塾に恵まれていたなどが、それに、親の経済力があって、そうなれている場合が多いのだ。だから、たまたまそうなったと思うべきで、それで頭が人よりもずっといいとか(確かに、受験的な才能は認められるが)、それで奥の深い人生の成功者何て言うべきモノではないと思う。
 問題は、それで失ったモノである。それを考える人は実に少ない。そんな人に限って、肩書きで人を判断してしまう傾向にある。世の中に出れば、いろんな価値観の人がいる。エリートは、ほんの一部に過ぎない。いろんな能力の人がそれなりに力を出し合って全体として釣り合いが取れる。自分の一人の力なんて、大したことないはず。支える人がいて、自分を理解する人がいて、多くのことが成就していくはず。そんな謙虚さが、上に立つエリートの人には、大切だ。
 ある中学の校長先生(後、教育長になったが)が私に次に様に言ったことがある、・・・「今までは、頑張れ頑張れと言って、勝つことばかりを奨励していた。しかし、自分の息子が大学入試に失敗して、敗者の気持ちがやっとわかる様になった。それまでは、スポーツの試合でも、勝て勝てとばかりしか言って来なかった。世の中、勝てば負ける人もいる。どんなにガンバッテも負けることがある。そんな負けた子どもの気持ちが分からなかった。負けても、それで人生に負けた訳ではなく、それなりにそこから立派に学ぶべきものが別の角度から勝った時と同じ様にあったのだが、それを教える教育が欠けていた。」と。
 (その校長先生、私の父と師範学校の時の同級生で、父と同じ様に、今は他界されています。)