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大学での過ごし方

 医学部での大学生活の過ごし方(為になるかも知れない本より)
 「大学とは、何を学ぶかを学ぶところである」とは、ベルリン大学フンボルト教授の有名な言葉である。ハ一バ一ド大学のロバ一ト・アンダ一ソン教授も、次の様に言われる、「いかにすぐれた大学といえども、そこで学ぶことは、その後の人生において学ぶことの一割にも満たない」と。長い人生の過程に於いて、大学で学んだことを、今後の人生に於いてどの様に位置づけるかは、その人自身が大学でどの様に過ごしたかにかかっていると思う。
 実際、各大学では、どんな学生に入学してもらいたいのだろうか。医学部の場合は、各大学が共通して医者の卵として望ましいとする第一は、「心身共に健康であること」であり、第二は、「バランス感覚のある人間であること」であり、第三には、「旺盛な科学的探求心と自主的学習意欲並びに創造力に富むこと」、第四には、「奉仕性精神を持っていること」となっている。
 逆に来て欲しくない学生像は、「受験戦争の中で長年疲れ果て、自らの人生に新しい展開を求めようとしない人」(愛媛大学)、「単に偏差値が高いだけの理由で医学部を選択する人」(金沢大学)となっている。
 「自分の一生を医学に捧げるんだという強い意志からでなく、成績がいいから医学部へ行こうとする学生がいる。入試に合格すれば、大学が尻を叩いてなんとか卒業させてくれるだろう、と漫然と考えて入学してくる学生は困る」(久留米大学)、「従来ややもすると医師になれば生活の安定を得ることができるというような安易な気持ちで入学してきたような学生にとっては、脱落の道しかないであろう」(新潟大学)、「頭がいくら良くても、あんまり変わった人は来てほしくない」「京都大学)などと、手厳しい。
 医学部の場合、人の命を扱い、しかも身も心も病んだ人間を相手にするのであるからして、臨床医たるものは、一般常識はもちろん、幅広い知識と高い教養の上に高度の医学的知識と判断力を持ち、人の痛みがよくわかる感性の高い人間味あふれる人柄であるべきである。事実、患者さんの中には、医師以上に教養があり、人生経験豊富な人は、たくさんいるのである。多くの医学生は、理数に強い人が多いが、臨床医学では、人間を相手とした全人的科学というものに対する考え方が大切である。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070530/2