日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

50歳からは・・・

 医師になってまる4年して、故郷の佐伯にある救急病院「西田病院」に勤務しました。
 朝から晩まで、超忙しく働いていると、たまたま、大分医科大学から派遣された外科医から、次の様に言われました。
 「今から生きて行く上で、仕事以外に、他に、誰にも負けない感じで、出来るものが一つでもあるといい。出来れば、仕事と全く関係ない方がいいけど。仕事でぶつかった時、その逃げ場所として・・・」って、感じで言われました。
 そう言われた時、その時は、ピンとその言葉の意味が来ませんでしたが、次第に、その意味の深さが分かる様になりました。
 仕事は、生活する上で、嫌いでも、逃げられません。特に、家族を持ち、小さな子どももいれば。しかし、趣味は、違いますね。趣味は楽しいですから。自分のペースで、ある程度まで、コントロール出来ますから。
 一番好きな事が趣味で、次が仕事だったら、一番いいのではないでしょうか。
 落語家の桂歌丸(本名・椎名巌=しいな・いわお)さんが、7月2日(月)に亡くなりました。81歳。ちょっと前まで、テレビで顔を見ていた感じでしたが。皆の前で、落語をするのが好きだったと思われます。それも、根っから。(平成30年4月19日が、酸素吸入器のチューブを付けての、最後の舞台でしたが・・・)
 こんな感じで、仕事と趣味が一緒になった感じの人が、医師や芸術家には、結構いる様な感じですが・・・。田舎のお医者さん、亡くなる1カ月前まで、仕事をしているケース、よく耳にします。本人、それで幸せだったと思われます。一番好きな事が仕事で、それが、最後まで出来る仕事であれば、いいのでしょうが、それがある年齢に達すると出来なくなるケースの方が多いですね。
 50歳過ぎれば、一番好きな事は、趣味にすべきでは、と内心思っています(←50歳前でも、それでも、いいと思っていますが・・・)。その趣味も、直ぐに出来ることは飽くので、石の上にも3年の精神で、何年も掛けて一人前になるものがいいのではないでしょうか。出来れば、人と接するのがいいのではないでしょうか。
 そんな風に考えて直ぐに実行できる人は、少ないかも知れませんが、今からの不透明な時代であればこそ、今から、少しずつでも、その方向で進むべきだと思っています。認知症が一番多いケースが、国家公務員だと知ると、生き方、やはり、変えるべきですね。
 今は、人生100年って感じですから。人生、やはり、晩年がいいのがいいですよね。はっきり言って、いい例が周りにないのです。国を当てにしても、年金一つとっても、当てになりませんから、自分の身は自分で守るしかないのです。
 いろんな選択肢があります。海外移住もいいでしょうし、晩年は、田舎で畑仕事もいいと思います。その人それぞれで違うのは当たり前です。それを達成する為には、現役時代から、いい情報を得て、それなりの計画を立てて、準備をしておくことが望まれます。生きるだけなら、海外を飛び出せば、月に10万円前後で暮らせる所ありますよ。しかし、そこに行った多くの日本人が、最後には、やはり日本を懐かしがり、晩年を日本で過ごしている例が多いのです。
 貴方の人生は、貴方なりに進むしかないのです。他人のせいにすることなく、自己責任で。

*写真は、ニューヨークから佐伯に来て、楽しそうにしている孫二人、次の写真は、ドバイの砂漠での日没前の私。