ありがとう、お母さん。

 母が、満94歳で、亡くなりました。大往生でした。
 5月6日(金)の早朝に亡くなり、8日(日)の「母の日」が、葬儀でした。葬儀の日は、母の満95歳の誕生日でもありました。
 5月6日(金)の深夜1時前に、未熟児が生まれ、直ぐに、病院に診察に行きました。それから、3時間ほどして、長兄から、母の死の知らせがありました。その日は、殆ど寝てない状態で、その日の外来をし、低血糖が気になって、7日(土)の午前中まで様子を見て、大丈夫だったので、安心して、天草を発ちました。
 熊本地震で、いつも利用している「九州横断特急」が利用出来ず、已む無く、小倉周りの遠回りで佐伯に着き、直ぐに、長兄と葬儀に付いて説明を受けました。
 その後、黒いネクタイがないことに気が付き、家の前の店に売っていたので、10時の開店に合わせて買いに行き、11時からの葬儀に間に合わせました。
 母の葬儀が行われる葬儀場では(佐伯市では、一番利用されている感じですが・・・)、無宗派の葬儀は、今までに経験がないとのことで、已む無く、大分市からプロの進行係が来ていました。
 戒名なし(母は、生前から、戒名なしを望んでいました)、お経なし、無宗教でなく無宗派とのことで、どうしてもイメージが沸きませんでした。
 初めに、喪主の長兄が、挨拶をしました。
 その後、母の好きな曲が3曲(めんないちどり、旅の夜風、川の流れのように)流れながら、(スライドショーで)沢山の写真がその間、休むことなく、どんどん紹介されて行きました。私が初めて見る昔の写真も沢山ありました。
 それが終わると、長兄の長男の長女(母にとっては、一番年上のひ孫) が、「お別れの手紙」を読み上げました。心打たれました。
 次に、私が、篠笛で、献奏の「惜別の歌」を演奏しました。皆の前で、こんなに下手に吹いたこと、初めてでした。涙が出て・・・間違えました。しかし、何とか最後まで演奏できました。しかし、こんなに心を込めて吹いたことも、初めてでした。
 その後、参列者の「お焼香」がありました。その間、私は、気を取り戻して、生前の母の前でよくしていた様に、篠笛演奏をしました。
 「荒城の月」「影を慕いて」「人生の並木道」「人生劇場」「悲しい酒」「月の砂漠」、そして、最後の「宵待ち草」が、ちょうど終わった時に、ピタッと、「お焼香」が終わりました。
 その後、予定では、次兄が話すことになっていましたが、その場の成り行きで、長兄、姉、次兄、私と、4人がお礼の言葉を次々と言い、無事に終わり、参列者を玄関で見送りました。
 兄弟4人が、こんな感じで、皆の前で、揃って挨拶したこと何て、長兄の結婚式以来でした。
 参列者の多くの人から、「いい葬儀でしたね。」と言われて、これも、母がよく言う「天の理」のなせる技だと思いました。
 演奏後に、直ぐに、長兄から言われました・・・→「この日の為に、今まで、演奏してきたんだ!」と。
 ありがとう、お母さん。