日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

常態化した不正システム

 大分県の教員採用での不採用で、ある弁護士が、「常態化した不正システム」と言う言葉を使っていた。教員採用や教頭や校長になる場合の選考基準の公開が、こんなに騒がれても、何故積極的かつ徹底的に進められないのか?!
 かって、民放で、興味深い内容が放映されていた。「状況の力」と題してのアメリカでの実験で、監獄での囚人と監視人とをデモでして、その心境の変化をつぶさに報告していたもの。それを思い出した。
 それでは、14日の計画が、耐えられなくて、6日で中断していた。している方も、されている方も、実際の姿になってしまっているのだ。
 その中で、次の3つのことが言われていた、つまり、1、「権威への服従」、2、「非個人化」、3、「非人間化」である。それが、現実に、イラクで、アメリカ兵が囚人にしている様に、起きているのだ。で、今回も、日本で、文部科学省を頂点にして、それに官僚が後ろ盾になって、全国つつうらら毅然と存在していることが判明したって感じに思っているのは、自分だけだろうか?
 似たことは、アチコチ、沢山あるのではないだろうか。医師や教師と言う人間的な職業の世界以外でも、強い後ろ盾がある為に権威を振りかざし、又、組織の中で自分を失い非人間的な行為をしても気が付かないことが。
 そう言えば、自分が大学に入学した時も、おかしなことに気が付いていた。一生懸命に勉強していると、上の先輩が、「どうして大学に入ってもそんなに勉強するのか」と聞いてくること。「国家試験なんて、99%合格だし、今まで受験で苦しんできているのだから、遊んだら・・・」とよく言われた(しかし、その後、どんどん国家試験の合格率が下がって行って、自分が受けた時には、80%になっていたが)。しかし、その状況でも、私は自分なりに勉強していたが、・・・。その時、皆が遊んでいるのに、一生懸命に勉強するのが恥ずかしかったことをはっきりと記憶している。
 常に失敗をしても立ち直れて、冷静になって研ぎ澄まされたシャープな頭で判断できる力のある人を選択しようと思えば、面接試験で(今から行われようとしている裁判官の様に、試験官に一般の人を無作為に選んで)以下のチェックもしてみたらいいのになあと思うのだが・・・。
 特殊な狭い環境で受験勉強に追われっぱなしで生活してきた青二才の秀才よりも、雄大な自然に囲まれた所にしばしば出向き、又、いろんな人と寝起きを一緒にして楽しく過ごせ、かつ、いろんな(大きな)失敗した経験を持っている人の方が(出来れば、それから自分なりに努力して這い上がれた経験のある人の方が)、頭でっかちでなくて先々頼りになりそうな気がするけどなあ。