「退職後の雑感、武士道」
NHK教育テレビで、「武士道」の放映がありました。それを参考に、以下に、記しています。
欧米の「騎士道」に対して、日本人には、ちゃんとした「武士道」があります。
江戸時代、武士は「士農工商」制度で、戦闘がなければ働かない感じでの支配階級でした。働かなくても食べていけるのは、年貢を納める人がいるからです・・・→武士は身分が高いがゆえに、普通の人以上に厳しい義務倫理にしばられるべきとの考えになっていました。
久留米藩士の「真木和泉」は、「義」に付いて以下のように述べています。
「義(正義)はたとえて言うと、人の身に骨があるようなものです。骨がなければ首も正しく据わることができません。手も足も動きませんし、足も立つことができません。だから、人は才能があっても、学問があっても、義がなければ世の中に立つことができないのです。義があれば、無骨で不調法であっても、武士たる資格があるのです。」と。
義があっても「勇(勇気)」がなければ、実行に移せません。義と勇は離れ難い関係にあります。義でない勇は、本当の勇とは言えません。
主君の命令は絶対でしたが、武士は、主君の奴隷ではありませんでした。主君の間違った考え方に対しては、本物の武士たちは、命をかけて己の気持ちを訴えたのです。
嘘をつくことやごまかしは、恥ずべきこととされていました。武士たちは、己の正義に値するものに対して忠義を誓っていたのです。
「義を見てせざるは勇なきなり」
武士は銭勘定を嫌いました。銭勘定は損得を追求する行為だからです。商売は商人たちに任せて、武士は、人々の模範となる生き方を追求したのです。
「武士に二言はなし」
「武士は食わねど高楊枝」
・・・ムムッ、日本人の「武士道」って、日本時の心の故郷(ふるさと)って感じで、素晴らしいですね。今の公務員は、どうでしょうか・・・?!
(令和4年2月21日、少し修正して再掲)