楽天が4勝3敗で巨人に勝ちました。大きく立ちはだかる巨人に、和気合い合いで楽しく行きましょうって感じの(?)楽天が、結成9年目、星野監督就任後3年目に、やっと日本一になれました。
なった瞬間、(私は、天草市の御所浦町と言う島にいたのですが)その場に10人程の人がいて、私が「楽天勝ちました!」と言うと、「ホント?」って聞いてきて、その後、皆が、大きな歓声をドッと上げました。(←今回、どうしても楽天に勝ってもらいたいと思っていた人、多かったと思います・・・?!)
何か、星野監督のシナリオ通りになった(?!)感じもしますが・・・。
絶対に負けられないって感じの第2戦での「田中将大(25歳)」投手の気迫のこもった投球に感動しましたが・・・第6戦では、4対2で、巨人の猛打に負け、連勝記録も30勝でストップしてしまいました。
しかし、よく考えてみると、第6戦では、巨人の安打が12本もあったのに、この日の楽天の安打は、わずか3本でした。しかも、巨人が絶対負けられない感じで総動員して来る感じの中で、マー君独りで160球を投げ切り、それも、最後まで球威が全く衰えない感じで力投した訳ですから・・・これで、巨人がもし負けていて、アメリカのメジャーに入って、そこでマー君が直ぐに負けでもしたら、日本の野球界にとってもダメッジ大きく・・・又、マー君自身の先々のことも考えて・・・星野監督は、最後までマー君に投げさせたのだと思います。
そして、第7戦で、最後の9回に、前日投げ切ったマー君が再び登場して(←とても考えれない継投パターンですが)・・・最後の巨人のバッターがホームランでも打てば、同点って感じになっていたのに、三振で打ち取って0点で抑え、目出度しとなりました。
日本球界にとっても、巨人にとっても、楽天にとっても、マー君にとっても、そして、見ている多くの人にとっても、そして、何よりも、東北で被災された人にとっても、理想的な形で終焉したと思います。
将棋の羽生義治氏が、阪神淡路大震災(平成7年1月17日)の年、6冠まで行ったのですが、神戸出身の谷川浩司王将に負けて、6冠で終わりました。その翌年の平成8年、6冠まで又取得して再び谷川浩司王将と対戦して、今度は目出度く勝って、7冠となりました(今は、3冠ですが)。
7冠を手にした時、羽生義治氏の父親(鹿児島県出身当時61歳)の言葉を今も思い出します・・・→「ある時は、勝ちに安堵し、負けに落胆しながら成長を見守って参りましたが、今回、”王将位および7冠を預かる”にあたり、将棋は勝ち負けを争うゲームであることは存じておりますが、私ども家族は、現在複雑な心境です。と申しますのは、阪神淡路大震災の中心地、神戸出身である谷川浩司王将が、力を充分に出し切れないままに終わったことです。大震災による物理的、精神的な痛手、更に、善治の7冠へのマスコミ報道が谷川王将に重荷になったと思います。7冠奪取、独占など大それた気持ちを持つことなく、一時期、”7冠を預かる”心構えの棋士であると同時に、社会人として更に邁進するよう望んでおります。」
多くの人がそうなって欲しいと思えば、そんな力がその人に加担して、そうなることが多い様な気がしてなりません・・・?!
*写真は、平成25年11月4日に御所浦町で撮ったものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%B0%86%E5%A4%A7(田中将大)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%86%E6%A3%8B%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E5%9C%A8%E4%BD%8D%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7_(2)(将棋タイトル)
http://www.youtube.com/watch?v=Kj9sgYFyyH8(限定公開:御所浦町)
http://www.youtube.com/watch?v=P3vtJz33ET8(限定公開:御所浦町)
http://www.youtube.com/watch?v=1dHcJ120meg(限定公開:御所浦町)
http://www.youtube.com/watch?v=5vNb0Bz0RLU(限定公開:御所浦町)