日本の心・さいき

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退職後のエッセイ(27)

  「退職後のエッセイ、最後の言葉」

 人は、亡くなる時、最後にどんな言葉を残しているのでしょうか・・・。
 父は、亡くなる直前に、これと言って残した言葉はなかった様な気がします。常々、人間はどう生きるべきかを家で説いていましたし、それに、はっきりと「いろはうた」を残して亡くなりましたから。
 家内の父親は、(中学校長で、国語が専門)、趣味に油絵を描いていました(我が家に、飾っていますが)。教育や政治に対して、いつも、鋭い意見を述べられていましたが、亡くなる前の1カ月間は、何故か、それもなく、周りに感謝の言葉を掛けることが目立って多くなっていました。その変化に、周囲が気が付いていましたが・・・。
 ある大学病院勤務の内科の医師は、私に次の様に言ったことがあります・・・→「亡くなる時、お世話になりました何て礼を本人から言われること、まずないなあ。1人だけはっきり覚えている。合掌して、ピシッと姿勢を正して、私に深々と頭を下げて言われた、僧侶だったけど・・・」と。
 これって、どう言うことなのでしょうか・・・?!スパゲッティーみたいに、管がアチコチ体から出て、最後は、親族が部屋から閉め出されて蘇生が行われて亡くなる何て、自分だったら、して欲しくないなあ・・・。
 東南アジアの多くの国では、最後は、自宅に戻して、多くの人に囲まれて(惜しまれて)亡くなっているみたいだけど・・・今の日本では、そんなこと、無理なのかなあ・・・。自宅で亡くなると、警察が来るケースが多いとか・・・?!
 最後に、「ありがとう」と言って亡くなる人生を終えたいなあ・・・。
 人間、生まれた時に既に、死ぬプログラムが組み込まれている訳だし、生きている時が「華」であるべきだし・・・いつ亡くなるかが誰にも分からないだけのこと。
 私の演奏での「一本締め」で、よく次の様な内容で言っていますが・・・「日本の場合は、いつ、どこで震災が起きても不思議でないですね。災害で突然に、命を落とすこと、私を含めて皆あります。今生きていることが大切です。今日も無事にここまで生きられたことに感謝をしましょう。そして、明日も生きられる様にと願いを込めて、一本締めをしたいと思います。」と。

 (令和3年9月17日、少し修正して、再掲)

 

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