日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

クールジャパン-4-

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(10年前に書いた内容の再掲です、少し、修正しています・・・→)

 昔は、何度も、「死」と言うのを肌で感じてきた様に思っています。
 小学校低学年の時、ネズミ採りで採れたネズミを、入れ物ごと水の中に入れて、殺していました。それを(今は亡き)父がしていて、「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・」と何度も言っていたのを思い出します。「今度生まれて来る時は、人間に生まれて来なさいね・・・」何て、父が言っていたのを思い出します。
 その(田舎の)土地では、人が亡くなると、皆の前で火葬していました。焼いている途中で煙の色が変わって行き、今どうなっているのか、焼ける音を聞きながら子ども同志で言い合っていたのを思い出します。
 又、法事で皆が集まると、ニワトリが殺されて、その場で、それが食事に出されていました。お腹の中に、小さい卵から大きい卵まで一杯入ったのを初めて見た時は、スゴク感動してしまいました。
 日本人は、神社に行くと、「ニ拝二拍手一拝」します。食事の前でも、多くの人が、一拝一拍手までは行かなくても、手を合わせて、「いただきます」と言います。これって、貴方の命を頂きますってことで、生き物の命をもらって自分が生かされることに対して、感謝の気持ちを現わしている言葉なのです。つまり、ヒトは、命あるものを食べて生かされているのです。古来より、日本人は、生きているものには、皆、魂が宿っていると考えてきています。
 そんな命の宿ったものを食べる時、それに、しばしば丁寧語の「お」を付けます。お米、おかず、お汁、お酒、お菓子、お茶・・・など。
 ご飯粒を一粒でも残すと、親から「目が潰れる!」とよく言われてきました。又、父から、次の話を聞かされていた・・・→戦国時代のある武将(ウロ覚えですが、秀吉だったかなあ・・・)の子どもが、ついだ食事をいつも少し残していました。武将の父親から、「そんなことでは、天下は取れん!自分の腹の状態も分からん様では!」と言われていました。で、やはり、父親亡き後は、天下を取れずに、あっけなく滅んでしまいました。
 又、昔、私は、ニンジンが嫌いで(今は、大好き)、よく残していました。すると、父から、何度も聞かされました・・・→乃木大将は、小さい時、ニンジンが嫌いでした。それを残すと、両親が、毎日それを出し、それを食べないと他の物を出しませんでした。・・・で、根負けして、食べる様になりました。
 又、日本人は、食べ終わった時に、「ご馳走様でした!」と、一拝一拍手までは行かなくても、やはり自然と手を合わせて食事を終えることが多いですね。これって、元々は、字の如く、食事を作ってくれた人、食材を生産した人に対する感謝の言葉なのです。
 ハングルにも、食前に「チャール・モゲッスムニダ!」、食後に「チャール・モゴッスミニダ」と言う言葉がありますが・・・。
 戦後、「陰膳」と言う言葉が薄れてきています。
 父は、家族で夕食をする時、先祖の箸を必ず据えて、晩酌する前に、「親様、どうぞお上がり下さい!」と言っていました・・・(今考えると、子ども達にスゴイ教育をしてくれていたのだなあと思います・・・)
 更には、日本語には、「もったいない」と言う、素晴らしい言葉があります。 2005年3月に、「もったいない」の日本語が、環境保全の合言葉として世界的に知られる様になりました。そこでは、日本語の「もったいない」には、消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源再利用(リサイクル)、修理(リペア)の4つのRが含まれているとのことです。
 限りある資源を有効に使い、みんなで公平に分担すべきです。そうすれば、資源をめぐる争いで戦争することなんて、起きないのでは・・・?!
 ツナミも世界に通用する言葉ですが、この「MOTTAINAI」も、肝心の日本で浸透しないと、ホント、もったいない話ですね。
 人間は、生きる為に、食事を獲得することは、永いこと、大きな問題でした。人間は、寝ている以外、殆ど、座ることなく、歩いたり走ったりしていました。それが今は、動かない、食べ過ぎる、飲み過ぎる、って感じになって、不健康になっています。先進国の多くで、食べ物が捨てられています。世界には、飢えている人が沢山いるのに・・・。
 「食育」、とても大切だと思います。是非、多くの場所で、小さい時から、しばしば、教育して欲しいと思います。

*参考図書:日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか 武田恒泰 PHP新書 2011年1月発行
*写真と上の内容は、関係ありません。